43. 中村大門のこと


中村大門のチョンの間について、この機会に少し書いておきたいと思って筆を執ったのであるが、回りくどいのが嫌いな人は読むのを飛ばしてもらったらいい。

そもそもこのネタを仕入れたのは、「三原のチョンの間」が書かれていたケータイサイトである(西日本編で触れていたやつ)。はっきりと記憶していないので、おおよその内容ではあるのだが、「中村大門のちょんの間」と題し、「大門のソープ街のところで、ポン引きババアが現れる。連れていかれた先でプレイする」といった内容であったと思う。

しかし、ポン引きに連れていかれるのなら「チョンの間」ではなく一発屋である。

チョンの間は、その場に店として存在しているもので、動いたり、あるいは不定営業だったりするわけではないので、場所さえ判れば発見するのはさほど難しくはない。 ひきかえ一発屋の場合は、プレイ場所がホテルやしもた屋の場合が多いので、ポン引きと邂逅しない限りはプレイは困難を極めることになる。 あるのはプレイスペースと店員だけで、「店舗」は存在しないのだから。

私が中村大門のチョンの間を発見できなかったのは、やはりこれがチョンの間ではなく一発屋で、それゆえに発見が困難であったからだと、建物などの痕跡もなかったのだと、当時は結論していた(案内人がいる日、いる時間帯もあれば、そうでないときもあるだろう)。

そのケータイサイト以外はどうかというと、ムックやエロ雑誌にも、プレイレポートのような具体的な情報はなかった。ごく稀に「大門のソープ街に裏風俗がある」という断片的な情報が記載される程度であったと思う。

そしてこれらの少ないながら手に入れた断片情報を繋ぎ合わせようとしても、不思議なことに全く一貫性がないのである。いわゆる典型的な一発屋ということでもなさそうで、「ポン引きが出没する」・「売春居酒屋で一発する」・「ソープ終了後にババアが立つ」など、情報がブレブレなのだ。それらは大きく次の3つに分類されるのである。

1つ目は、キーワード「赤ちょうちん」で、「赤提灯」のことだ。意味するのは大門町にある居酒屋のことで、赤い提灯が目印だからそう呼ぶのだという(一般的に提灯は赤色なので、深い意味はないと思う)。そこに入って飲んでいると、店員の若い女に誘われて二階で一発するというのだ。これなら一発屋ではなく、れっきとしたチョンの間である。

2つ目は、ソープが終わってからの深夜の時間にババアが現れて客を引く。ついて行くとホテルに案内され、女がやってくるというもの。

3つめは、主に掲示板で出回った情報であるが、△荘の前にばあさんが現れて客を引くというもの。△荘とは、いまのドマーニで、立地と言い、店舗名と言い、あの前に老婆が立つ(座る)とは、少々出来過ぎな話ではある。

この3とおりある大門裏風俗情報であるが、まさしく宝探しと変わりのない、ただの作り話、うわさ話の域を出ないものなのである。しかし、火のないところに煙は立たない。私は、これは何かの「男と女のギリギリのドラマ」が言い伝えられているものだと考えたのである。だから、08年以降も、継続して捜査を行うことにしたのである。


2010年~12くらいだったと思うが、タレコミを貰ったことがある。タレコミと言っても豊橋のそれ(ファイル168)よりさらに難解なもので、URLが貼られているだけであった。タイトルすらもなかったそのURLはストビューのもので、見てみると大門の街の細い道を写したものであり、一軒のビジネスホテルが写っていた。これが「ちょんのま」なのか?と少し考えたものの、おそらくタレコミ人は、「こういう胡散臭いホテルを見つけたので、あなた一度捜査してください」ということで垂れ込んだのだろうと軽く考え、私はすぐには出動しなかったのである。

とはいえ、私は名古屋にはよく行くので、行ったときは中村大門も時間の許す限り訪れるようにしていた。ある日の夜、22時半~23時くらいであったと思うが、ポン引きはいないかと、あるいは大門横丁の赤ちょうちんに怪しいところは無いか、△荘前に婆さんはいないかと見て回り、そういえばと思い出して件のビジネスホテル(すでに廃業している感じだった)を見に行ったのである。するとちょうど一台のタクシーが前付けされており、ホテルから足腰の弱った様子の爺さんと中年所と思しき女が出て来て、爺さんの方を乗せるとタクシーは走り去ったのである。私はずっと見ているのも具合が悪いのでいったん建物の陰に隠れ、一呼吸おいてまた覗いた時には女の姿はなかった。ということは、女はホテルに戻ったと思われる。まさか赤ちょうちんの店がすぐそば(横丁からは近い)にある? あるいはそこらのしもた屋に入った?

私はそのあと、ホテルの入り口を入念に調べ、いかにも用がある風に立ってみたりしたが、ドアが開くことはなかったし、他に人の出入りもなかった。私は、これはたぶんただの爺さんの送迎だったんだと自分を納得させてその場を離れたのである。その後、おそらく一年以上かもっとしてから再訪(時間も同じくらい)したことはあったが、人の気配はなかった。

それから中村大門、名古屋に行く機会はうんと減って(名古屋の街以外へ行くことが多くなったので)、とりあえず私の中では、竜神新地、藤沢、中村大門の3か所が指名手配ということになっていた。

藤沢は2年ほど前にようやく検挙せしめたが、竜神新地と中村大門はおそらく時効成立となるのではないかと半ばあきらめていた。ところが、ここ一年ほどで新たな資料を見つけたりして概ね解明に至ったのである。竜神新地はまた別の機会に譲るとして、中村に関しては、こういったものであったようだ。

中村大門に裏風俗が在るか否かで言うと、結論は在ったことになる。具体的なプレイレポートとしては、99年物のムックに詳しいレポートが出ているのを発見した。また、近年になって、メディアで活躍するリフレッシャーがネットに具体的情報をアップしている。

先に述べた、赤ちょうちんの居酒屋(チョンの間)、ババアのポン引き(一発屋)は2つとも正しい。なぜなら、こういう仕組みだったらしい。大門町に一軒の居酒屋があった。そこで女が店員として働いている。その女が売春もしていたということで、店に来た客だけを相手にするのではなく、ババアが買春客を探しにポン引き行為をしていたというのある。プレイするのはホテルで、代金は20000円だという。背景がソープ街なので、そういう商いが成り立っていたのだろう。各地のソープ街には裏風俗が結構な確率で存在するのである。需要と供給が最初からあるのだから。

そして、ここからは私の推測であると断ったうえで書くのであるが、3つ目の△荘前にいた老婆についてである。この老婆はフリーのポン引きであったのだと思われる。こういったポン引きが全盛期には幾人かいて、駅西~大門までをテリトリーにしていたのではないだろうか。私は、2007年に駅西でポン引きから女を購入したことがあるが(ファイルナンバー84参照)、そのときのポン引きババアは自転車に乗っていたのである。自転車に乗ったポン引きは後にも先にもこの時だけだった。これは、広範囲を行き来する必要から、徒歩ではなく自転車に乗っていたのではないだろうか。

当時の私は、中村といえば「中村大門=大門=ソープ街」だとばかり思っていたが、実際の中村区というのは駅西から大門までの範囲を指すのである。また、ソープランドは今でこそ大門にしか存在していないが、かつては駅西から大門の間にもけっこうな数が点在していたという事が解っている。だから、「中村大門のチョンの間」は、現在のソープ街にある裏風俗ではなく「中村区一帯に存在する裏風俗」であり、両端の拠点が「駅西」と「大門」で、それはかつてのシルクロードのように一部分では穏やかに交流のある裏風俗であり、お互いに影響をあたえつつも、やがては時代とともに幻となって消えてしまったものなのかもしれない。

駅裏のカスバと東洋一の廓の末裔が、ほんの15年前まで交易を続けていた――。この大胆な仮説は、裏風俗に魅了された中年変態おっさんの見果てぬロマンであろうか。消えてしまった裏風俗に思いを馳せつつ、キモいと言われる前にここで筆をおこうと思う。

なお、これを読まれた方の中には「俺は昔から知っていた。そんなの地元じゃ当たり前だ。今更かよ。捜査官もたかが知れるな」という向きもあるかもしれない。そういった方は是非とも、当時の思い出を私にメールして欲しいと思う次第である。あなたの武勇伝を独り占めする気はない。データベースで世界に向けて発信するのもやぶさかではない。


続きは次の水曜日に。

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