41. 伊豆長岡今昔
今日は、伊豆長岡へ行ったところを回想します。ファイルナンバー131が該当します。
まずは日記から。
『さて、コンビニで食料を買い込むと、熱海行の電車に乗った。どこか飯屋で食いたいのだが、油断してはいけないという気持ちがあった。この4日で12万も使っている。油断したら新潟の二の舞になる。ギリギリのドラマを体感するには、ギリギリで行動しなければならないのだ。コンビニでパンとおにぎりと水を買って520円。
これで伊豆長岡でギリギリの判断に成功して、可愛いタイ人が出てきて「あなたカコイイ、だから恥ずかしい」とか言われて、楽しいセックスが出来るのだ。浴衣姿の女子がチラホラ乗ってきた。今日は平塚で花火大会があるようだ。大阪ではいつあるんだろうか。淀川の花火大会。今年は見る事はなさそうだ。』
東海道線に乗って三島へ向かうのですが、車内が混雑していまして立ちっぱなしでしてね。
平塚の花火大会の影響もあったのだと思います。夏の捜査は祭りに邪魔されることがあるのですが、伊豆長岡でも祭りをやっていて撤収することになったわけです。
それから、「大阪での花火大会」ですが、これが後々の旅の行き先に影響を与えるみたいですよ。
で、東海道線は小田原まで立ちっぱなしで、三島で乗り換え。伊豆箱根鉄道で伊豆長岡駅へ。この駅から現場へと徒歩で向かいます。歩くとけっこうな距離があります。
狩野川
を渡ります
なんか道中でウキウキ気分のキッズが沢山いておかしいと思っていたら…
ええ、現場はこれもんでしたよ。
東京弁でナンパしたら余裕でいけそうな女が多数いました。見てくださいよこれ。
あのコンビニがこの状態ですよ。
ヤンチャそうな車と普段より背伸びしてオシャレした女の子。田舎ならではの夏の夜のアバンチュールが発動する条件を十分に満たしていますね。
いやあ、タイ人探してる場合じゃないですよ。
結局、撤収することになったのはファイルに書いた通りです。
『しかし、こんなところになぜタイ人が働くスナックがあるのかという話であるが、恐らくストリップ劇場で働いている人達が、そもそもの始まりだろう。踊り子として来日し、やがてスナックでも働くことになり、それがいつしか売春も行うことになったと。こうして、ある程度のスキームが確立していったと考えるのが妥当だろう。私の推測ではあるが。』
ファイルではこのように書きましたが、外国人と仲良くなるに従い、そうでもなさそうなことが解りました。そもそもタイ人はストリップでは働かないですしね。あいつらダンスとか下手くそじゃん? ポール掴んでやる気なさそうに腰を振ってるだけだし。踊りはフィリピンか南米に限ります。
伊豆長岡がタイ人を使ったチョンの間になっていたのは、たまたま優秀なタイ人のBOSSがいて、やがて有力なコミュニティに育ったからじゃないかと思います。日本人のブローカーや893屋さんがいくら頑張ったところで「コミュニティ」を育てることは出来ないわけで、入植外国人をスタートとしてBOSSを中心とした小規模コミュニティが成立・発展し、それが大規模集落になり、各地のそれらの集落同士が交易をおこない、やがてベルト地帯の生成に至るまでを考えるのが最新外国人裏風俗論なのです。入植じゃなくて出稼ぎという言葉の方が適切ですけど。BOSSは必ずしも男というわけではなく女のBOSSのところもあります。
外国人に馴染みのない人からすると、コミュニティは「犯罪者集団」という視点で見られてしまいがちですが、蓋を開けると外国人出稼ぎ労働者のムラにすぎません。もちろん、オーバーステイや違法薬物とか車の解体とかはあるかもしれませんが、そういうのは西成にもあるのでまあ、なんですかね。そういうもんだと思います。
外国人裏風俗で逮捕されセンセーショナルに報道される893屋さんは、育ったコミュニティから甘い汁を吸おうとした結果の共倒れですが、いっぽうで賢い893屋さんは日系2世や3世と組んで海外との100億円ビジネスを行ったりするわけです。こういうのはコミュニティとはほぼ関係が無いように思います。
近年では群馬のベトナムの豚狩りBOSSが話題になりましたが、やがて日本人がベトナム人に対して本来とは異なる利用価値を見出し、またベトナム人もそれを是として、ベトナム人の女が裏風俗でスタンダードになる日が来るのかもしれませんね。
日本人のルーツや邪馬台国がどこにあったかなども、このように柔軟な発想を持って考えなければならないと思います。日本人は縄文人と弥生人のハイブリッドですが、我々のDNAには共存共栄が刷り込まれているはずなのです。日本が移民に支配されることを恐れる人がいますが、あなたの言葉を借りればすでに2000年前に移民に蹂躙されているのが日本なのです。あるときに彼らは人間同士で戦う事のバカバカしさに気付いたのです。その結果、「みんながそうしているからそうしよう」の民族性が生まれたのです。これは決して悪い民族性ではないのです。2000年の実績がある国造りの方法なのです。
さて。話がおかしな方向へいったので戻します。
ここはもともと赤線があったみたいですね。それの生き残りが例のスナックのようです。
スナックがあるのは、温泉場出逢い通りで、多くがそのままの箱でずっと商売していたわけです。当時はスナックじゃなくてバーと呼んだみたいですが。
伊豆長岡のチョンの間はもう終わったという事を聞いていますが、実際に行って調べてないので詳細は解らないです。ヘルファイアはそう簡単には消えないですから。消したと思ってても消えてなかったというのは、よくある話なのです。
チョンの間の他には、ストリップやヌードスタジオが10以上もあったそうです。それから後の時代にソープランドが1つ出来て、これも10年ほど前に無くなりました。ピンクコンパニオンはいまでも有名です。
ブルージーな裏路地が好きな人なら楽しいのではないかと思います。
ただいまの位置は静岡県です。
出発地点からの足取りはこんな感じです。
続きは次の水曜日に
続きを読む
トップページへ戻る 目次へ戻る