2010年9月×日、長官より緊急指令が下りた

指令:長野新地を捜査をせよ

早速、捜査官が手拭いを持って電車に乗った。
なお、以下のファイルはすべてノンフィクションであることに留意されたい


長野温泉というものがあるらしい。場所は汚れの殿堂・大阪府。長野県ではない。

なんでこんなにマニアックな温泉街を捜査するのかというとですね、ここに長野新地ってものがあったらしいんですよ。情報源はいつものようにタレコミだ。

でも、長野新地は伊丹新地や初島新地のように大昔に滅亡した新地だ。私の興味の対象となるのはセックスが出来る現役の新地あって、過去の遺物になった新地にはさほど興味が無い。だから、タレコミ人も、よくわからんけど垂れこんだんだということにしてしまい、このタレコミは大量のメールに埋もれて忘れ去られることになる。

それから1年くらいして、河内長野のスーパー銭湯に誘われて、この地を訪問する機会があった。そのとき長野温泉てのがあることを知ったのだ。もしかしてと思って調べてみると、やっぱり長野新地は長野温泉のなかにあったのだ。で、長野温泉はまだ現役で温泉が湧いており、温泉旅館もあるという。これは・・・。もしかしたら、今でも旅館の中居があり得ない確率で恋に落ちてくれたり、近辺のスナックで女の斡旋が行われているのではないか・・。

「温泉街には高確率で裏風俗が存在する」

僅かな可能性を検証するために、現場へ行ってみることにした。報告書を温泉街紀行に入れたのは、たぶん白だからだ。「長野新地に潜入せよ」というファイルだと、観る者にあらぬ期待を持たせてしまう。世論は厳しいのだ。なんだよそれ、スペルマ発射はなかったのかよ!ふざけんな金返せ!て言われるの嫌ですから(無料ですけど)



で、やってきました。河内長野。



駅は南海と近鉄の駅が合体している。私は南海派です。



川を渡れば新地になるようだ。「遊郭赤線跡は川のそばにある」マニアなら周知の方程式だ。
これはますます期待が持てるぞ。向こうに見える赤い橋が長野新地に向かう1本道だったようだ。



橋の入り口。ブルージーなゲートと奥に廃屋になったバーが2軒ほどあります。



橋の名前は黄金橋

渡ったところは住宅街になっているが、右に曲がると・・



きな臭い匂いがしてきた



おお、なにやら香ばしいぞ

雰囲気は凄く残っている。これまでになかった風俗街の景色だ。
山奥の秘境といったところか。駅から徒歩5分もかからずにこれだ。すごいなあ。
でも気配が無い・・。完全に過去の遺物か・・。




夜は懐中電灯が無いと歩けない感じ。
足を踏み外して川に落ちるか、いや、その前に心霊スポット級に怖い。。



階段が上へと続いている。



なんだよこの廃屋、墓みたいなのもあるぞ・・



誰かいますか??



誰もいない。



これから先は怖いので撮影してません。



こんなヘンテコリンなコンクリの建物もあった。玄関が赤線建築みたいな感じといえば感じだが、たぶん違うな。なんだろうこれ。このコンクリビルの前には旅館みたいなお家が建っている。遊廓建築に見えなくもないが、もともとここは遊廓があったわけではないので、純粋に旅館として建てられていたものを、転用して今は住宅にしてるだけだと思う。人が住んでいるお家なので画像は載せない。



階段を登りきると河内長野荘に出る。



さらに上に行くと公園になっていた。


一通りみてまわり、帰ることにした。そして黄金橋の方へ降りてきたそのとき。

前から50歳くらいの化粧をばっちりした女が歩いてきた。チンコレーダーが反応する。距離50センチですれ違う際に横目で確認すると、本来は白髪の混じっているであろう髪は綺麗にカラーリングされ、ジェルかスプレーで水商売風に固められている。服は淡い黄色いブラウスにパンツ姿で、早足に歩いていく。

どこへ行くのだろう。あの家の人か?いや違う。通り過ぎた。八重別館の人か?いや違う、通り過ぎて、左へまがった。左は階段を上がっていく道だ。さきほどの写真のところである。まさか。ずっと立ち止まって見続けた。尾行するか?いや、でもさっきから写真撮ったりして白い目で見られてるから、尾行したら本気で怒られるかもしれない。そう思って見ていると、女の姿はそのまま階段にさしかかり、茂った山林に吸い込まれて見えなくなった。あれは通いなれた道を歩くように。

・・・・・・。まさか。まさかね。

きっと河内長野荘で働いている人だ。これから仕事なんだろう。化粧が濃いのはたまたまだろう。接客業ならよくあることだ。それに階段途中の建物はすべて廃屋だったじゃないか・・。そう自分に言い聞かせて、黄金橋へ向かった。






いったい長野新地とは何だったのか。河内長野の図書館で調べてみた。

河内長野市史をみたりするが、いまいちわからない。どうも温泉街としての歴史は複雑に入り組んでいるようだ。京都や奈良の地面を掘ると必ず遺跡が出るが、はたしてそれは何時代のものなのか・・てのと同じですね。

まとめると、

■古くから、極楽寺という寺(現在の河内長野駅近く。昔は高野山へむかう街道の宿場町として栄えた)に隣接して温泉があった(伝承)

■明治39年極楽寺温泉開設

■明治41年、高野登山鉄道(のち南海電鉄と合併)が長野遊園地を開設

■大正時代に極楽寺温泉は廃止

■昭和8年に長野新地が開設される。「都市計画法に基づくもので、用途地域として『住宅・商業・工業・遊園』の4地区に分けられカフェ歓楽街長野新地としてデビューした」「店の数は30件、女給・仲居さんの常備が150人、花見時や松茸狩り時の非常時編成が300〜400人であった」「昭和30年ころ風俗営業的なものは、僅かに0.9%にしか当たらないが、其の営業力や商業地を盛り上げる吸引力、又逆に住宅地の環境に与える影響力が大きいので、其の位置や配置が色々の問題を生む事になろう風俗営業的なものとして『旅館・ホテル』が47件とされている」

■昭和35年に温泉を再開発、37年に給水開始。温泉加盟店として7軒の旅館が当時の地図に記載されている

■現在はその残骸があるのみ。温泉旅館は河内長野荘が1軒だけある

参考・引用
河内長野都市計画調査資料
河内長野市史
長野温泉小誌(河内長野文化研究会 s49)

温泉地として栄えたり廃れたりを繰り返しているみたい。長野遊園地の跡は、現在の河内長野荘とその隣の長野公園のあたりと思う。 なんだかんだあって、どうやら昭和8年からは本格的なエロ路線を走っている様子。33年の売防法の後もそっちの方面の営業もしていたということだろう。そしてだんだん寂れてきて、自然消滅したんじゃなかろうか。

ネットでは下記のような情報が得られた。事実どうかはわからないけど。

・平成6年に地上げにあうまで営業していた
・赤線指定はうけておらず、青線だった
・893の事務所が90年代まであった
・近くのバーは連れ出しスナックで、旅館は仲居が相手をした



もう一度、違う日に現場へ行ってみた。



これが極楽寺か・・。でかい大仏様がいる。



古い案内板があった。今は住宅になっているところにスタンド・・と書かれている。スタンドというのは、絶対女を買えるところだったんだ。いわゆる売春宿じゃないのか。南翆荘のところは今はマンションになっている。マンションの竣工が2005年だからそれ以前の地図だけど、いったい何年前の地図なんだろう。この地図のころはまだ遊べたんだろうな。


長野公園の売店のババアに聞いた方がいいかもしれない。それか、八重別館に宿泊して直接聞き込みをするかだ。でも、そこまでして調べる気は起こらない。なぜなら、セックスが行われていたのは、どう見積もっても20年以上前だからだ。過去のセックスには興味はない。私が興味のあるのは、今現在非合法なセックスができるかどうかなのだ。

利用したことがある人はいるのだろうか。情報をもっている人がいたら教えていただきたい。




温泉データ

長野温泉

開湯:S35年(再開発)
源泉温度:-
湧出量:-
PH値:-
泉質: ナトリウム・マグネシウム塩化物泉
アクセス:近鉄・南海「河内長野」下車徒歩10分くらい





捜査報告書:もう商売やめたんですわ



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