75. 沖縄でPLAY②


さて、今回はコザである(おいおい金武のX店はそれからどうなったんだよ、というのは言わないでくれ。これはあくまで完全版の中で脱線して書いているファイルだから)。コザにはアメリカ兵向けのオシャブリ屋台がある(あった)のだ。沖縄を紹介するサイトにほんの少しだけ情報があるのを以前より知っていた。しかし、もう半世紀前の事だと思っていた。ところがだ。あらたにオシャブリ屋台の記録を資料探しの最中に押し入れから発掘したのだ。2013年のエロ雑誌。これをリアルタイムで読んだ当時はなんとも思わなかったようで、ページを切り取って日付を記載してほかの資料と一緒にファイルされていた。とんでもない事である。これはいえば見つけた骨がヘラジカの大腿骨だと思っていたら実はティラノサウルスの頭骨であったくらいの失態だ。なぜスルーしたのだろう。

しかも書いているのはいつぞやのファイルで私がチンカス呼ばわりした風俗ライターである。ファイルされたページを眺め、「おまえ、すごいじゃん」と、わたしは独り言ちたのである。青天の霹靂だ。いきってチンカス呼ばわりしてたら返り討ちにされるという一時期YouTubeで再生数稼げるからって量産されてた企画みたいな状況、わたしは本当に穴があったらチンコを入れたい気分になった。いや、土下座して靴を舐めたい気分だった。

しかし。もう終わったPLAYだと信じていた。だって「屋台」だ。昔の日本には「屋台売春」というものがあり、東京の吉原と札幌のススキノが有名だった。吉原はだいぶ前の昭和時代に消滅したようだが、ススキノは平成の半ばまであったらしい。古参の風俗ライターとかなら経験した人はいるのではなかろうか。具体的な体験レポートは出回っていないので、昭和の週刊誌やらの情報をもとにした私の推測部分も含めたものではあるが、以下のようなものだったらしい。

立ちんぼと一発屋を足して2で割らないような謎業態である。おでん屋台とかになっており、屋台の店主(オーナー)は夕刻になると路上に開店する。屋台では実際におでんが煮えていたりする。で、開店準備が終わった店主が屋台を離れると、今度はその屋台持ち(フリーで契約しているのか)の女やってきて、屋台に店員として立つのである。しかし「セックスどう?」と客を引くわけではない。でも客の方も屋台売春だって判っているから問題は起こらない。おでん食いたかったら食ったらいい。女と話したかったらしたらいい。屋台で自由恋愛してホテルへしけこむ、ようは、立ちんぼじゃないワンクッション入っている立ちんぼである。屋台で恋に落ちると屋台から出て行って近くのホテル(旅館)に入って一発するのである。なんで屋台形式にしているのかというと直に引いたら売春になってしまうからだ。当たりまえなんだが、「いや、売春と何が違うねん」みたいな話ではある。

もう一度言う。屋台である。はだしのゲンに出てくる靴磨き少年みたいな感じなのだろうか。ベトナム戦争の頃は若かった女が、今ではババアになって、まだオシャブリ屋台で客を待っている? タバコ屋に婆が多いのは、むかしのタバコ屋は別嬪さんが売っていて、その人たちが老人になったからだと小学校の先生に教えてもらったことがあった。タバコの自動販売機の無かった時代は、あの駅の窓口みたいなところで若い女の人からタバコを買っていたのだと。そのように聞いて合点がいったものだが、それと同じことが? んなバカな…。



ということで、これも数年前に沖縄まで調べに行った。以下、捜査メモから作成したものだ。


屋台の出ている場所は、だいたい目星をつけている。今回の日程では優先度ナンバーワン。ほかにも同じコザで調べる非合法売春スポットがあるし、会う人もいるし、図書館にも行く。撮影もしたい。忙しい。時間が死ぬほどある時にはやることが無くて、忙しい時にはやることが沢山あるとか人生は上手くいかんもんですな。

コザは嘉手納基地の東ゲートに位置する門前町。嘉手納はゲートが2つあり、もう1つは反対側の北谷の方にある。東側が基地のメインゲートになり、前の道は「ゲート通り」という。とうぜん歓楽街として栄えているのは東ゲートの方であり、近くには吉原のチョンの間もある。東洋最大級の空軍基地・エアベース嘉手納の門前町なんだから沖縄最大最高のPLAYスポットが造られたであろう事は容易に想像できる。

沖縄入りしてから図書館行ったり、他の用事で北部の方へ行ったり。折からのコロナ禍で、国道沿いのサービスエリアは人が殆どいなかった。渋滞もない。高級ホテルでも驚くほど安く泊まれる。



夜になるまでホテルのバルコニーから海を眺めたり、海岸沿いを散歩したり。ラフな格好のアメリカ人が沢山いて早い時間なのに酒を飲んだりしている。沖縄の夜は長い。本土の感覚だと18時から本サロが営業開始して、20時半から違法店のポン引きが活発に活動を開始するイメージがあるが、沖縄はそれより3~4時間は遅く始まるのだ。23時を過ぎてからがコアタイムと言ってもよい。最初は沢山ある24時間営業の食堂が謎だったが、慣れてくるとその必要性もわかるようになった。

23時くらいに車で現場へ行ってみた。



結構なにぎわい。いくぞ、オシャブリ屋台。車を駐車場に入れて徒歩で捜査開始。多分こっちの方と思うが…。広範囲に歩いてみるも、わからない。場所はここで合っているはずだが。

ううむ。らちが明かないので聞き込みをすることに。男のポン引きは声をかけても飲み屋の案内か吉原の案内しか出来ないという。片っ端から聞いて回るが、誰に聞いてもそんな感じで歯切れが悪い。なんか警戒されてるくさい。そんなに怪しいかねオレの格好。

いずれにしても、このあたりの若いキャッチやポン引きがオシャブリ屋台を知っているとも思えないので離脱。 小規模スナックや住宅があるブロックへと移動。こっちは立っているババアが数名確認できる。しかし、沖縄ではスナックの従業員が客引きをするのである。これが見た目はポン引きや街娼そっくりなので判断が難しい。

道を1つづつ歩いて、屋台が出ていないかを見ていく。ううむ。こっちでも聞き込みするしかないな。 本土の感覚なら完全に「立ちんぼ」と思える小太りの女、推定64歳に接近。「あそべるの?」と聞いてみた。

「あそびか?あそびがいいの? 飲みは?」

話すと飲み屋の女だった。だよなあ。沖縄はややこしいんだよなあ。しばらく話をして、遊びに関する情報は持っていない、斡旋もしていない、オシャブリ屋台?? なんやそれ。ということが明らかになった。別の店の女も立っているので聞いてもいいが、同じだろう。とりあえずこの小太りの女のスナックに入ってみることにした。ここのママが高齢(80オーバーとのこと)であるというのがわかったので、昔のことを知っていると思ったからだ。店は住宅を改造した、かなり古びたものだった。

カウンターはない。キッチンカウンターはあるけど客が座るのはテーブルソファになる。カウンターは物置になっていた。ほかに客はいない。



これが深夜一時くらい。

昔の話をということでママを呼んでくれたが、ママは耄碌していて声も小さくほとんど話にならなかった。若い方の老女と話をしてみるも、本当かウソなのかよくわからん受け答え。飲み屋の女というのはいつもそうだ。あとは記憶違いもあるだろう。25歳の脳みそが10年前を思い出して話すのと、75歳が50年前を思い出すのではまったく違うわけだから。「現地のオババに聞いた話」「現地のジジイに聞いた話」というのは案外アテにならないのである。あてになるのはやはり自分のチンコ。おまえのマンコ。これに勝るものはない。

そして滞在が長くなると会計も高くなる。グラスには茶がなみなみと残っているのに(この女のグラス1杯のお茶も1000円する)。「もう一杯いただいていい?」だ。途中でよっぱらいのジジイが入店してきたが、おそらくあの爺は現地人価格で飲めるのだろう。観光客はだいたいぼったくられるからな(私の経験上です。まともな店も沢山あると思います)。深夜2時すぎ。店を出た。収穫0。

もう疲れた。帰る。

その後。大阪に戻ってから。さんっざん書き散らかしておいて馬鹿みたいな話で恐縮なんだが。さらに調べを進めてオシャブリ屋台は屋台ではなく、きちんと箱があるということがわかった(別で屋台も存在する(した)のかもしれない)。ピンポイントの住所も判った。ちょっと違うブロックと勘違いしていた。1つではなく複数だという。ババアばかりらしい。おもしろい小部屋でファックするとのこと。ババアが「ヘイ、カモンッ」と英語で客を引くと書かれている。・・・いやさすがにそれは脚色だろうよ? 尺八横丁(尺八=フェラ)というらしいが、名称からオシャブリ屋台と混同していたわけだ。ちゃんと資料を最後まできっちりと読みこまないとこうなる。最初から最後まで馬鹿なオレ。これはもう一回行くしかないな。

んで、どうなった? 続編は? といわれてもこれは完全版の一部なので。これで終わりな。いつか報告書になるかもな。

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