55. 富士山のおもいで1


前回は、神栖から脱出して箱根まで来たところをお伝えしました。朝の透き通った空気に浮かぶ富士山は美しかったです。

今回はですね…、また妄想劇場でも挿入しよかと思ったんですが、やっぱりやめて富士山を登って頂上まで行くというお話をしようと思います。

あれはたしか私がリアル若者のとき、さんざんアピールしてた(23)よりもさらに下の時分のことです。BUPを探したら当時の記録がありましたよ。これ、たしか大昔にもるだの塔にアップしていたと思います。読んだ人いますかね。まあ、それを皆さんにお見せしようかと思いましてね。


その当時、私は人生に行き詰まっていたようです。そこで、季節が夏だったということもあり、リフレッシュに行く必要があると思ったのです。普通のまんこペロペロ旅行では十分なリフレッシュにならない――。じゃあちょっと冒険がしたいなあと思いまして、「関西ウォーカー」という雑誌を見ながらいろいろ考えていたところ、富士山を思い立ったわけであります。こりゃいっちょ行くしかないべ。気が付いたらバイクに乗って一号線を東へ向けて走っていたのです。

「一号線を東へ向けてバイクで走る」という人生の逃避行みたいなのは、何度かやっています。当時は、人生に行き詰まると、とりあえず東へ向けて走っていたみたいです。富士山の他にも3回くらい東へ向かって走り出すというのをやって、恥ずかしげもなくもるだの塔で全世界に向けて発信していました。もしすべて読んだことがある人は、もるだの塔マスターですね。

なお、自分で20年ぶりくらいに読み返したところ、YouTubeのコメント欄でいきってるキッズと全く同じノリだったので、みんな若いとこういう感じになるのだなあと改めて認識を新たにした次第です。


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富士山頂からメールは送れるか!? 前編

はじめに

夏がやって参りました。夏と言えば海だ!単車だ!SEXだ!
さて、今年の夏は何処へ行こう(嬉)・・。その時、三矢サイダークラシックを買いに 入ったコンビニで、ふと目に入った関西ウォーカー。そこには「登ったぞ!富士山」の文字。
え!?
富士山?
それって3776M?
それってもしかして日本最上端?
それって何気にアツイんじゃないの?
それって・・・(約六秒の間)
ハイ。富士山行き決定~!


8/11~8/12 晴れ

四国で讃岐うどんを食べるツアーに参加。
全然富士山じゃないやんけ!というツッコミが飛んできそうだが、香川県にも讃岐富士(422m) という山があるのだ(笑)。許してくれ!このツアーはどうしても外せなかったのだ。
で、讃岐富士を尻目に食ったうどんはヤバイくらいうまかった。まだ食った事の無い人は、是非1度ご賞味あれ。
あまりの値段の安さに驚愕し、注文の仕方に戸惑い、うどんの長さに慌て、売り切れ閉店というやる気の無い 店がやたら多いことに脱力し、でもまた来たいと思ってしまった自分にトキメキを感じてしまう事は 間違いないだろう。


8/13 晴れ 大阪→京都→名古屋→山梨

うどんの狂宴が終了したのが、確か日付の変わる頃。で、目覚めるとAM10:00。そっか今日は本当の富士山へ行くんだっけ!?
登山なんてした事無いので、なんとなくカッパやヘッドライトなんかを揃えてみる。かなりノリだけで富士山モードに 入っているが、果たしてこんな装備で3000M級の山に登れるのであろうか。ちょっぴり心配しながら PM1:00、出発。
途中、ウ○○カムのN氏の所に寄って携帯を新品に替えてみたりする。なんせ富士山からメールを打つんだから、 この位の気合を見せておかねば(ホントは新しいのが欲しかっただけ・・)

名神京都南→一ノ宮まで走って、栄のいつものコインロッカーについたのがPM5:00くらい。 とりあえず荷物の半分くらいをココにおいて、身軽になって富士山を攻める計画なのだ。 松屋の290円を食ってからR22→東名阪→東名へ。走って走って浜名湖SAで小休止。のはずが、蓄積されまくっていた 疲れからついウトウトと・・・。目が覚めたらすっかり夜になっている。やばっ! とりあえず富士山周辺の健康ランドをチェックする。すると、富士健康センターとかいう ランドがあることが判明。 今夜の宿を確保できたので、後は走るのみ。東名高速を御殿場まで爆走する。 御殿場で高速を下り、富士五湖を通り河口湖へ。 いともあっさりランドを見つける事が出来た。ラッキー!
フロントで2415円払うと、早速風呂に入る。なんとこのランド、湯が温泉なのだ!しかも入っているのは オレ1人!貸切状態。気ん持ちいいいぃぃ~。結局最後まで状態が継続し、大満足で終了。よしっ!(しのけん風味)
本日走行480km


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どうですか。これはヤバいですね。なんなんですかね、このミレニアム時代を感じさせる微妙な感じのノリは。 なんかポジティブな動機が書かれていますが、実際のところは先に書きましたように人生に行き詰まっていたからです。ウドンツアーのくだりは何も言わずにスルーしてください。みなさんが言いたいことは私が一番わかっています。

山頂からメールは送れるかってなんやねんて話ですが、補足説明をしますと、富士山に登るだけでは面白みに欠けるので、当時の最先端ツールであった携帯電話で山頂から知り合いへメールをするというイベントを(一人で)行おうとしていたのです。

まず、知り合いの携帯ショップへ行って新しいケータイにしました。当時は携帯キャリアはドコモ、AU、ボーダフォンの3社だったかな。このときのAUは関西セルラーだったかもしれません。 私が初めて買った機種は反町隆史のサインの入ったやつでしたね。買い替えてどんなやつにしたのかは覚えてないのですが、たぶんこの時に2つ折りデビューしたように記憶しています。

登山のスケジュールは、まずは名古屋に行って栄のコインロッカーに荷物をデポする。これは、山梨で宿を取っていないので、邪魔になる荷物を全部ここに置いて、身軽になって一気に富士山を登って下りてこようという作戦でした。植村直己の本を参考にしたみたいです。そして、当時は名古屋に付き合ってる(ことになっている)女がいたので、戻ってきてから遊ぼうと思っていたみたいです。当時、松屋は牛めし1杯290円でした。

名神高速を走って、名古屋の栄に着いたのは、夕方5時くらいでしたかね。地下街のコインロッカーに荷物をぶち込んで、再び走り出します。市街地を抜けてから東名に乗って御殿場まで走りました。途中のSAで寝てしまったこともあり、着いたときには夜になっていました。

河口湖の近くに24時間営業の小さいスーパー銭湯があったので、そこに入って一夜を明かすことに。 富士健康センターというところですが、だいぶ前に閉館したようです(もしこのスーパー銭湯が無かったらどうするつもりだったのか…)。季節柄、超満員でして、 仮眠室に寝るスペースが無かったので、しかたなくマッサージチェアに横になって無理やり寝ました。最後のしのけんは全力スルーでお願いします。


次回に続きます。

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