22. 利尻島〜クッチャロ湖

7/27(日曜日)
AM5:11にボーで起こされる。30分でテント撤収して走り出す。下り坂で荷崩れ起こすが45分に港へ着く。 ハートランドフェリー。かなり建物美しく、船もgood。もうかってまんな。受付のおねえちゃん今風。あんまり愛想ないが。 しかしこの人たちすごい早い出勤時間なんやろなあ。社員証つけてるし。1時間55分。行ったる。トレッキングの人たちがわんさかいてる。 銀行がないなあ・・・。計算してみるとやはりガソリンが高い。節約して走っているが2回入れて4000円は高いなあ…。 礼文島おもんない。岬まで行って帰ってくる。うに丼ダブル食う。どうなんこれ。 13:05のヘリーまで港で寝る。 しかし11680円の投資はキツいね。おもんなかったよー。フェリーターミナルで話しかけられる。 名古屋から5日の休みで来てる子供持ちリーマンライダー。情報交換ETC 船の中でも話。やはり礼文島は歩かなあかんらしい。 クッチャロ湖の東側がR238より良い道だと教えてもらうが、結局解らず。 なんでもオロロンラインは天気のよい日が少なく、昨日走れたのは非常にラッキーだったらしい。 リーマンはタバコをやめて1日300円づつ貯金して12万溜まったから初めて北海道へ行ったらしい。今年で5回目とか。 お菓子を貰う。屋久島とフェニックスロードは行くべきだと言っとく。メロンのお礼の電話がくる。 北海道シリーズも礼文が終われば折り返しか。もっと攻めなければならない。それにはやはり都会のネオンも必要ではないか。 バイクの旅してるやつは大勢いるが、風俗行脚はまぢでおらんからな。それが社会からの使命であるわけだ。いや〜クッチャロ最高。 礼文がしょぼかっただけにうれしいね。クッチャロ湖に落ちる夕日を見ながらテントですわ。しかも温泉まである。親切なキャンプ場のおっさんがいろいろ教えてくれた。すばらしい。この夕日は素晴らしい。 パスタやらラーメンで満腹にしてからホテルの温泉へ。サウナはいる。ヌルヌル温泉で気持ちいー。うんこもする。

本日走行89キロ 総走行2,749キロ 使ったお金15,264円


【12年後の回想】



ボーってのはフェリーの汽笛です。これが朝の様子。キャンプ場から撮っています。下に見える海が稚内港です。 早朝のフェリーに乗るので急いで準備して向かっています。



これがハートランドフェリー。建物も船もすごい綺麗でした。

そんで窓口のお姉さんが可愛かったです。これまで何度も店員がかわいいみたいなの書いてますけど、このフェリーの窓口のお姉さんが一番かわいかったです。こんなに早く出勤するなら何時に起きて化粧始めるんだろうと思いました。フルメイクだったので。彼氏とかデートはどうしてるのかなあ、デートスポットとかあるんかなあと気になりました。

往復のフェリーチケットが11,680円もしやがったので、手持ちの現金が乏しくなりました。銀行のATMが全然ないので(コンビニにもATMはそんなに無い時代だった)、ガソリン代を残しておかねばならないので、島ではあまり金を使えないと思いました。



およそ2時間で着きます。

で。楽しみにしていた礼文島はクソおもんなかったです。高山植物(綺麗なお花とか)が見られるのですが…。てゆうかお前は本当に花なんか見たかったのかって話ですよね。花が好きな人は島を縦断するトレッキングが有名みたいですよ。あと、桃岩荘という旅人に有名なユースがあります。(ググれ)。私はそういったノリの宿や旅人が大嫌いなので行きませんでしたが。やることないので、とりあえずウニを食いに行きました。山の果てにあった飯屋で、知る人ぞ知る的な食堂でしたが、うまくなかったです。ウニ丼食ったものの、味が薄くて濃厚さが無くていまいちでした。いまいちというか、どっちかいうとマズかったです。1800円もしたのに。上の海苔はしなしなでした。なんでこんな詐欺みたいなウニ丼が有名で本にも紹介されているのか不思議でした。



うに丼ダブル? ノリご飯の味しかしませんでした。







とりあえず道を走るのですが…。



とりあえず島の北端まで行くのですが…。



これが確か島の最北端です。スコトン岬。最北端のトイレとかがありました。トイレの写真も撮ったと思うのですが捨ててしまったようです。



全財産を積んでいるみたいですよ。これにプラスして、体にもザックを2つ背負っていました。必要最低限の荷物に絞っていても、これくらいの量になりました。毎朝、荷物を崩れないように順番に積み込んでいくのは大変でした。急いでやると冒頭のように荷崩れを起こして道路に荷物を散乱させることになります。 寒いので革ジャンの上からスノーボード用の防寒着を着ていたのですが、その上からザックを背負うので、だいぶ怪しい人でした。夏なのに関西の冬と同じくらい寒かったです。もちろん風俗に行くときは風俗用のモードにするんですけど。綺麗な服にして髪の毛もセットして。俗にいうオンとオフの切り替えなんとかですよ。



早くもこういった施設に気を取られています。パチンコ屋さんですね。今行かなければ死ぬまで行かない所だという思いで船に乗って来たんですけど、こんなとこ来てますよ。馬鹿ですね。たしか手持ちの金が乏しいので打つのは自粛したと思います。打った記憶が無いので。ここで資金を増やすで!という底辺の発想はありませんでした。 そもそも2003〜2011年くらいはパチンコとかほぼやってませんでした。でも2011年にGOD系譜が現れてまたパチ屋に行くようになってしまったんですねえ。

まったく面白くないのでそっこー昼のフェリーで帰ることにしました。やったことはまずいウニ丼食ったのとパチ屋と最北端のトイレだけという。あとはフェリー乗り場で寝てたみたいです。 13:05のフェリーに乗ったので、4時間くらいは滞在しましたかね。

当時使っていたマップルを捨ててしまったので、島内でどのように立ち回ったのか解りません。ウニ食ったのは山の中だったのはなんとなく覚えています。パチンコドリームはpワールドには載っていませんが今でも営業してるくさいです。ラインナップが気になりますね。



上の蟹とか魚のイラストが海物語っぽいですが、たぶん元は飲食店かお土産屋さんだったのをパチンコ屋にしたんだと思います。イラストそのまま使えるで!という発想だったのかは不明です。 写真フォルダに花の写真は1つもなかったですが、パチンコ屋の写真はちゃんと撮っていました。



帰ります。こんな果ての海なのに携帯の電波が入ったんですね。船上で電話したって書いてあります。電話の後はずっと名古屋から来たというリーマンライダーと話をしていました。 ライダー同士は話しかけてもOKみたいな暗黙の了解があるので、初対面でも遠慮なく話しかけてくる人は多いです(ライダーかどうかは服を見たら解りますので)。男に囲まれている女ライダーとか大変だなあと思います。登山とかもたぶんそうだと思いますけどね。連絡先交換したがるおっさんとか、一緒に行きましょうとしつこいおっさんとか。

それから、これは本当の話なんですが、フェリーの車両甲板で、めちゃくちゃ可愛い金髪ショートカットの外国人から話かけられました。私のバイクが京都ナンバーなのを見て、「わたしも京都ヨ(ハートマーク)」と。ライダーじゃなくてチャリダーでしたけどね。この旅で出会った女の中では最も可愛かったです。ハートランドフェリーの窓口よりも2倍は可愛かったです。二人でいちゃこらしてるのを見た甲板員が「おい!」って大声で邪魔してきたので急いで下船しました。邪魔っていうか、さっさと下船しろボケって言いたかったんでしょうな。

稚内に戻ってきて、もう1泊しようと思っていたので、観光しています。稚内市内から再び宗谷岬の最北端モニュメントがあるところへ行っています。灯台とか公園があるのでゆっくり写真撮ったりしたかったのです。婚活パーティーの様子を見に行くのもいいと思いました。





これは旧海軍の櫓だったかな。



こういう戦争遺構もあっちこっち見に行っていました。見たいものが沢山あるので、どこに寄るかの加減が難しかったです。 旅が長くなるにつれて、風俗が目的ってのを忘れているときも多くて、西日本編の時とはだいぶ心持が違ってきておりました。 まあ西日本は敵が強すぎたというのもありますけれど。

でも、本日の日記にもありますように、「もっと攻めなければならない」とか「社会からの使命」とか「都会のネオンも必要ではないか」とか、 ときどきこういった気持ちになってノートに書きつけてあるのです。だいたい2日おきくらいに我に返って書いてある感じですね。「社会からの使命」てなんやねん。 「必要ではないか」って誰に話しかけてんねん。



ワフーを撃沈したとき、約束通り牛を1頭つぶして基地の兵隊に贈ったとか、そんな逸話だったっけ。 本で読んだり写真でしか見たことないものを実際に見るというのが楽しかったのです。



東京まで1,106キロ、石垣市まで2,849キロ。ああ、これを見て我に返ったんだね。石垣島までちょんのま探しに行くつもりだったし旅全体の折り返し点でもあるんだね。 サハリンまで40キロってのも書いてありますね。当時はコルサコフ―稚内航路がありました。ハートランドフェリーが運航していて、稚内からオフロードバイクを積んでサハリンまで行く変人もわずかにいました。残念ながら2015年廃止されました。ロシアの船会社も2019年くらいまで小型船を運航していましたが、これもいまは運休しているようです。ロシアはビザが要りますから利尻島みたいに気分で乗ることは出来なかったですけどね。サハリンはいつか行きたいです。

16時、急に思い立ってクッチャロ湖へ行くことにしました。距離は60キロくらいです。今日ここ稚内で泊ると、明日はもう稚内でやることはありません。次の街は紋別または網走になります。そのあいだに特に観光で行きたいスポットはありません。風俗もありません。恐らくクッチャロ湖は午前中に通り過ぎてしまうだけになります。だったら、今夜は稚内のキャンプ場ではなくクッチャロ湖のキャンプ場まで行って、夜の湖でしっぽり一泊してみたいと思ったのです。

大急ぎで出発準備を整えます。日没までもう時間がありません。このさき、オホーツク海側は紋別まで町らしいのが無いのでガソリンを満タンにしておきます。



最北端のガソリンスタンドが、最北端のモニュメントのすぐ近くにあります。給油すると証明書を貰えます。スタンドの人から記念に貝殻も貰いました。 念のために言っておきますが、給油したら全員もらえるやつです。私がカッコよかったので女の店員さんから連絡先と一緒に渡されたものではありません。 おじさんから「これ」って渡されました。



1時間ほどで浜頓別という町に到着して、キャンプ場に入って受付を済ませます(有料で200円でした)。 キャンプ場の管理の爺さんに「湖に沈む夕日を見ながらゆっくりするのもいいもんですよ」と言われたのですが、夕日が沈み始めて爺さんの言っていた意味が解りました。



まだ明るいよ。



貸し切り状態だよ。



写真じゃ伝わりませんが…。太陽が沈むまでずっと見ていました。18時くらいに夕日になってきて、太陽が湖の向こうに沈むのが18:50くらいでした。

湖のすぐそばの芝生でテントを張ることが出来て、夜はどんな感じになるんだろうと嬉しくなりました。さらに、丘の上に温泉もありました。ホテルもあって、そこのトイレとかサウナも、払った利用料の200円で使わせてもらうことが出来ました。

ご飯を作っていますよ。



居心地がいいので本を読んだりして、ここでもう1泊したかったけど、本屋とかコンビニとかがないんですよね…。まわりは何もないので。あと、日が沈むと寒かった。夜の湖はね、静かだったよ。




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