23. 妄想劇場2
反対車線を走るライダーが、すれ違いざまピースサインを送ってくる。そのたびに左手でサインを出すのだが、どうもこのタイミングが難しい。向こうからバイクが来るのは、まっすぐ果てしなく伸びた道の数キロ先からわかる。こっちからサインを出そうかと思うときもあるが、考えているうちに必ず向こうが先に手を上げてくるのだ。
北緯45度のモニュメントで記念写真を撮ると、再び走り始めた。やがて道は断崖沿いのクネクネ道にかわった。もの悲しい雰囲気だ。でもXの心は嬉しさでいっぱいだった。いつかここに来たい。日本の最北端へ行ってみたいと子供のころから思っていた。でもまさかバイクで来ることになるとは。
Xがバイクの免許を取ったのは20歳の時、バイクモデルの本を読んで憧れたからだ。すぐに二輪免許を取った。原付に乗っていたが、ビーノと教習所のスーパーフォアは天と地の差があった。それでも卒検は1発でうかった。21歳の時に、中古のボルドールを買った。以来、地味に日帰りツーリングをして、1泊ツーリングをして、マスツーリングに参加して、そして23歳の今、念願の北海道一周の旅にやって来たのだ。19歳の時から働いている会社は1週間の休みをくれた。まじめに働いた甲斐があったと喜んだ。
京都を出発して、敦賀からはフェリーに乗った。フェリー自体が初めてだったが、なんとか見よう見まねで乗り切り、船内で1泊して北の大地を踏んだのは36時間前だ。感動冷めやらぬなか、札幌で2日滞在した。今日は500キロ走って宗谷岬まで行き、さらにクッチャロ湖でキャンプとしゃれこむ予定だ。テント張ったことないけれど。
稚内の街を通り過ぎると、時刻は15時。断崖下の道がしばらく続き、やがてそれが遠のいて、左側に見えていた海が目の前いっぱいに広がってきた。ここが最北端の宗谷岬らしい。先ほどまでのもの悲しい雰囲気とはうってかわって、ここだけは観光地になっている。観光バスからぞろぞろとオバちゃんが出て来ては記念撮影をしている。ライダーも沢山いる。三角形のモニュメントの前で写真を撮ろうとしたが、タイミングが無い。ぼーっとバイクに腰かけてタイミングをうかがっていると、ふいに背中で声がした。
「京都から?」
振り返ると、レザーにサングラスの女性が立っていた。
「ナンバーが京都だったから」
女性が続けたので、慌てて返事をする。
「アッ、ハイ」
「そう、あたしも京都から。北海道は初めて? ここはイメージと違うでしょう」
「ええ、すごい賑やかで最果て感はゼロですね」
「学生さん? ひとり?」
「え、いえ、働いています。一人で来てます」
「ふーん、酔狂だね」
いままで、「偉いね」か「凄いね」だったのに、この人は変わったことを言うんだな……とXは思ったが、とりあえず同じことを聞き返した。
「えっと、お姉さんは?」
「あたし? 一週間前にいきおいで上司と喧嘩して、いきおいでバイクに乗っていきおいでここまで来た。あれ、あたしの」
目線の先には彼女のスポーツスターがあった。Xにはハーレーだという事は解ったが、車種までは解らなかった。
「すごいバイクですね」
「まあ、バイク好きだから。走るのとか。キャンプしたり、温泉とか」
しばし話をした後、「写真撮ってあげるよ」といわれ、写真を撮ってもらった。「バイクごと乗り上げたら?」と言われたが、そんな勇気はなかった。撮ってもらったあとに「撮りましょうか?」と言おうとしたが、向こうの質問に遮られた。
「どっちまわり?」
時計回りにまわるのか、逆時計まわりに回るのか、だ。普通は、初心者は時計回りだと、なんとなくXは思っていたので、右まわりに進んでいる。
「時計回りに一周して、今日はクッチャロ湖くらいまで」
「ふーん、じゃあ逆だね。あたしは今日は稚内で泊まるよ。クッチャロ湖なら早くいかないと日が暮れるよ。じゃ気を付けて」
ずいぶんカッコいい人だ。幾つくらいなんだろう。Xは去って行くハーレーを見送ったが、やがて自分も最北端のスタンドでガソリンを入れ、出発することにした。日が暮れるとまずい。
国道238号をひたすら走り、時間も時間なのか、1台もすれ違わなかった。道の真ん中にバイクを停めて撮影したい衝動にかられたが、先を急いだ。
クッチャロ湖に着いたら、ちょうど夕日が沈むところだった。芝生のサイトには、他に2~3のテントと、キャンピングカーが1台あった。
あまりにきれいな光景。吸い込まれそう。勿体ないのでずっと見ていたが、あたりが黄金色に染まってくると我に返った。あ、やばい、テント。今日は初めてテントを立てる日だ。
取説を見ながら悪戦苦闘すること20分。わからない。テントポールをひん曲げているとき、後ろから独特の排気音が近づいてきた。
エンジン音の主は、Xのボルドールのすぐ横に停まった。スポーツスターだ。エンジンが止まると、主はメットを脱いで長い髪をかき上げて、Xを一瞥した。
「よお!」
びくっとした。さきほどのハーレー乗りの彼女だった。
「なにしてんの? テント立てるの? 手伝ってやるよ」
「あれ、今日は稚内じゃないんですか?」
「あー、ライダーハウスがうっとうしい男ばっかりでさ、嫌になって出てきた。そんでこっちに泊るの。あなた名前は? あたしはW。よろしくね」
Wに手伝ってもらい、というかWがほぼ一人で組み立てたのだが、テントが建ったのは3分後だった。そして「隣に張っていい?」といいながら、Wはもう自分のテントを組んでいる。作業しながら「ごはんは?」と聞かれた。
「あ、えーと、ぱすたを・・」
「おー、いーねー。あたしはソーセージとメロンととうもろこしとー、全部貰い物だけどー。いやー、女だからかなんか知らんけど行く先々で貰えるんだよなー。女って得だね。あ、酒飲む?」
湖の向こうに陽が沈んで、うす暗がりの中、ガスバーナーがつけられた。パスタが茹で上がり、にんにくの匂いがして、メロンが皿に盛られ、テントサイト備え付けのテーブルには豪華な? ディナーが並んだ。灯りはガソリンランタンだ。
「凄いですね、旅慣れてますね」
「伊達に年取ってないよ、あなたより8歳上だよ。じゃあ、再開を祝して、かんぱーい」
食べながらいろいろ話をした。ぼうっとオレンジ色に光るランタンの傍でXはWの話を聞いた。北海道のどこがいいとか、今までどこに行ったことがあるか……とか。Wは17の時からバイクに乗っていて、北海道から沖縄まで日本一周したこともあると言っていた。そして、日本最北端はきょう行った宗谷岬ではなく、択捉島のカモイワッカ岬だという事も教えてもらった。
食事が済むと、片づけをして、Wから風呂に誘われた。テントサイトの上に温泉があるのだという。タオルと財布だけもってきなと言われ、ついて行った。北海道らしいヌメった湯の温泉だった。開放感あふれる湯で見たWの体は美しくエロかった。エロかった。エロかった。
真っ暗な中、すぐそこにあるはずの湖は見えない。見えないけれど湖が存在するのだという不思議な感覚。波の音もしなくて、静寂だけがある。地上と空の境目の分からないまま視線を上にすると星が異常なまでに視界に入ってくる。星があるところが空だ。天の川が流れているのがよくわかる。
「じゃあ、ねよっか」
「うん。あした何時に起きますか?」
「目が覚めたとき」
Xは、お休みのあいさつをしてテントのジッパーを開けたが、後ろからWが思い出したように声を掛けた。
「入っていい?」
Xが何も答えないでいると、抱きつかれた。
「いい匂い」
耳元で囁かれて、口づけされた。驚いて顔をそむける。
「いや?」
「うー。だって…」
「お・ね・が・い」
テントの中に入ると真っ暗になった。まっくら。
そのまま触られ、なめられたが、Xに何かさせることはなかった。抵抗をやめて、1回いったらそれで終わった。
「かわいい」
「あたし、こういうのはじめてです」
「そりゃ普通は初めてだろ。みんなレズだったら怖いよ」
「Wさんはレズ?」
「さあ、どうかな。このまま一緒に寝ていい?」
あさ、Xが目を覚ますと、Wはもうテントを撤収してハーレーに積み込んでいた。テーブルにはコーヒーが。「おはよう」と、いたずらっぽく笑われた。
ぼんやり座って出されたコーヒーを飲んだら、砂糖が1つも入っていなくて苦かった。
「さあ、ぼちぼちいくわ。テントはダイジョブ? 手伝おうか? 今日はサロマ湖までいくんでしょ?」
Xは、「もう少し一緒に走りませんか?」と言いたかったが、それを見越したようにWに遮られた。
「昨日は楽しかった。人生なんてね、一生一緒にいるとおもったやつでも一年で会わなくなったりするんだよ。変わらないと新しい出会いもない。あたしは出会いの数を宝物にしたいの。Xとあえてよかった。いい思い出をありがとう」
「また会えますか……ね?」
「まあ、運が良ければどこかで会えるよ」
「そうですね」
「さようなら」
了
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