2011年8月×日、長官より緊急指令が下りた

指令:神崎新地に潜入せよ2

早速、捜査官が現場へ向かった。
なお、以下のファイルはすべてノンフィクションであることに留意されたい


前回ここを捜査したのは09〜10年(ファイルナンバー185参照)。

ファイルをアップしてから、タレコミやら書き込みやらを幾つも貰った。

タレコミを閲覧できるのは管理人の特権ですよね。くすッ。
あと、ファンの女の子と会ってセックスするのも特権ですよね。ウフフッ。(妄想です)


いろいろと詳しく書かれたタレコミメールを送ってくれた人もいたのだが、
これは記載してもいいのか測りかねるので、今回はここに掲載しない。

ちょんの間は壊滅しているが、立ちんぼが現れるかもとのことで、ちょっと行ってみることにした。





猪名川の堤防から分かれる道を入る。



ここをずんずん進むと、道はやがて真っすぐになり、
ゴルフの打ちっぱなし場と、再開発された風の綺麗なバス乗り場が見えてくる。



それをスル―してモスリン橋まで来る。
かつての立ちんぼゾーンはこの場所だったらしい。



立ちんぼを探すが・・



いない。


続いて、飲み屋というか定食屋みたいな建物が有る方へと移動する。



ちょんの間全盛期には、ここらへんでポン引きババアが客を引いていたという。

怪しい人物はいない。
いるとしたら私だ。

30分ほど探して、引き上げることにした。


その後、別の日にもう一度調べに行った。
結果は同じだった。


やはり神崎は息の根を止められたんだろう。
プレイの内容はどのようなものだったのか。
はるか幻となったちょんの間を夢想して。


南北に通る大通りには客引きの婆さんや袖口から入れ墨をのぞかせるヤクザ達がたむろする怪しい街並みだったという。「大通りを車で流していると客引きのババアが目の前に飛び出してきて危なかったなぁ。急ブレーキ踏んだらババア、悪びれもせんと『エエ娘いてるよ。ショートで五千円。ロングやったら一万円やで。』ってセールストーク始めるねん(笑)」と、全盛期を知る筆者の知人。料金は前述の通りで、お遊びは客引きの婆さんとの交渉から始まる。飛田新地などと違い、顔を見て相手を決めることはできず、好みのタイプを伝え派遣してもらう置屋スタイルだ。交渉が済むと大通りより西側にある旅館に招かれる。旅館内は一般的な新地と同じで2階建ての木造であり、小さな部屋がたくさん並んでいたそうだ。そこで派遣された姫と一時を過ごす。

震災後、ほとんどの姫は戸ノ内を離れたが、それでも少数の店は細々と営業を続けていた。だが、本誌のような新地を取り上げる実話誌もない時代。客足は回復せず、店は一軒残らず潰れ、年配の立ちんぼが数人残るまでに落ちぶれた。

冬場は一斗缶に火を焚き、客を待ち続ける立ちんぼ婆さん達。この姿は2000年頃まで見られていたという。すぐ近くに交番があるのだが「もすうぐ死ぬだろうから」と黙認されてきたらしい。


裏ネタJACK2007年6月号



夜になると、厚化粧をこらした接客婦たちが行き交い、飛田、松島にない活気に溢れている。完全な戦後派だから、時代がかった建物も少ない。赤線が廃止されてから、アルバイト料亭を筆頭に、旅館、小料理屋、バーなどに衣替えしたが完全な偽装で、内容はちっとも変っていない。軒数にして約九十軒。門口にやり手婆さんが立って手招きし、女たちが顔を見せる張店も昔のまま。ワンセット千円が現在の相場。一応ビール一本と突き出しが出て、女の子が酌をしてくれる建前にはなっている。「あの、小柄でほっそりした子、頼みまっさ」。気に入った女を指名すると、その子が階上の小座敷へ案内してくれる。初島と神崎は同じ尼崎市内というのに、 まるっきり変わっていて、神崎の場合は部屋はあくまで料理の小座敷風。タンスも布団も見当たらない。「どう、ビールにする?それともジュースでいい?」と聞いて、ジュースだとドーナツがついて千円。時間は十五分きりしかないから、ひどくせわしい思いで、 思いを果たさねばならないが、二セットを取らしたり、女が別にチップを要求したりしないところが神崎のはやる原因である。

方法は座布団を二枚敷いた上に女がスカートをめくって寝ころぶやり方で、こうなると不思議に女は早く済ませようという気持ちばかり働くらしく、前技も何もあったものではない。


全調査京阪神酒・女・女の店


はじめまして、TKと申します。
神崎新地のファイル読んで懐かしくなりました。
実は何度か昔おせわになりました。
写真に写ってるとこ以外にも表向きは居酒屋で
ってのがありました。
そして、ポン引きババアが数名、椅子に座って
獲物を待ち構えてました(笑)
今は結構夜も明るい感じがしますが、昔は結構
恐ろしほど暗くほんと、怖かったです(笑)
私は自転車でいける距離に住んでましたので、何度か
お世話になりました。
病気ももらいましたけど・・・・(笑)


いい思い出ですよ、たしかに、そこには新地はありました。
置屋から派遣ではなくそこで雇ってるお姉さん?
がいて、1発やっていくような感じでした。
料金もそこそこ安かったですたしか・・・1万5000円だったような・・・。
時間はあってないようなもんでしたよ。
とりあえずは、1発すむまでの時間でしたから。

そんなわけで、今では再開発で綺麗になった
戸の内ですが、昔は確かにそこに遊郭とゆうか、
1発屋があったことは確かです。

以上駄文でしたが、これにて、報告とさせていただきます。
これからも、楽しみにしています。

戸の内新地の情報を入手しました。二十年前の話ですが情報主は友人三人と潜入、やり手ばぁの若い子が居るとの口車に乗り、近くのボロアパートに案内、やり手ばぁ登場!内容は乳首舐め→竿舐め→手コキ→G装着→合掌。友人達のお相手は推定三十代と四十代、料金は当時で5Kとの事でした。

昔は、車で信号待ちをしていると、婆がボンネットに覆いかぶさってきたものですよ。

もるだの塔掲示板より



家での営業は震災の後も1軒だけ、1年ぐらいやってました。
一応なじみでした。新聞に再開発計画が出たころ消滅しました。
橋の立ちんぼは見ましたが・・

私はこの界隈が好きで(界隈の雰囲気としては、徳島ですが、においは若松と同じです、)
なじみやってました。
はやっていたころは、フリーのポンチャンがいまして、車に乗せ、案内してくれます。
遊郭みたいな建物のところもありますが、食堂、文化住宅の部屋、奥まった一軒家、なんでもありです。
新聞になじみの店が挙がった記事が出て、一時遠退きましたが、震災前は雰囲気のためにだけ
なじみやってました。ポンチャン(ママ)と遊女一人だけで、ママも客を取ってましたね・・
昔から花代10000円です。


貰ったメールより



 







捜査報告書:誰もいなかった。



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