特別寄稿

失われた五條を求めて

文-けいす




2012年3月某日

摘発され、組合が解散してから1年以上が経過した五條楽園。依然として再開したという噂は聞かない。しかし、あの街は今どうなっているのであろう。この目で(あわよくば、このチンコで)確かめに行くことにした。

16時頃に着いた。高瀬川沿いから路地に入り、探索してみる。1年前よりもお茶屋の建物が明らかに減少している。完全に取り壊され、コインパーキングになったものがある。残っているものは、人が生活している様子のものもあれば、もはや廃墟と化したものもある。いづれにせよ、どこも営業していない。戸は堅固に閉ざされている。俺のチンコレーダーは全く反応しない。

概してかつて感じられたここ特有の怪しい雰囲気が減少している気がする。まだブルースはちらほら存在するが、「普通」の街に変貌しつつあるのだ。怪しい風情という点では、ちょんの間はないが、鳩の街の方が上を行ったと思う。

さらに、何とあの任天堂の建物の一部分が、ショベルカーで取り壊されている。縦長の建物であり、崩された部分は後方の20分の1程度であるが、崩していることからすると修復工事ではなさそうである。

或る東洋専門家の米国人によれば、京都の「近代化」は東京オリンピック開催前の京都タワーの建設に端を発したが、拍車が掛かったのは1990年代からだそうである。司馬遼太郎は、京都人は京都が嫌いなので、どんどんコンクリートで固めているというようなことをどこかで書いていた。もうこの国に楽園は永遠に失われてしまったのであろうか。

憮然として帰ろうとしたところ、提灯が下がっているお茶屋を発見!行ってみた。お店の前に立看板があり、「和カフェ」と書いてある。そのような言葉が知らないうちに出来ていたらしい。お茶屋ではあるが、ちょんの間ではないようだ。

玄関をくぐるとピンポーンと鳴り、おばあちゃんが出てきた。愛想の良いおばあちゃんで(かつては遣手婆であったのだろうか)、2階の1室に案内される。観光客かと聞かれ、そういうことにしておく。 お品書きを渡され、フルーツティー(アイスクリーム付き)というものを注文し、おばあちゃんは1階に下りていった。このおばあちゃん1人で切り盛りしているのであろうか。しかし、お品書きの筆跡は若い女のものである。

おばあちゃんがお盆に急須と茶碗とを乗せて返ってきて、お茶を注ぎながら、今日は何処に行ったのかとか、どのようにしてこの店を見つけのたかと尋ねてくる。五條楽園の捜査だとは言えないので、偶然通り掛かって見つけたことにした。本当はおばあちゃんに「元遣手婆だったのですか。お茶屋はどこも営業していないのですか。再開の見込みはないのですか」と詰問したくて仕様がなかったが、ジェントルマンの私は明け透けに聞くことができない。暫く他愛のない話をして、おばあちゃんは去っていった。

1人でしっぽりとフルーツティを飲む。畳って良いなあと思う。飲み終えて何もすることがない。帰ろう。

1階に降りたが、誰も出てこない。暫く待つと、若い女が出てきた。ちっちゃくてややロリ風だ。

会計を済ませると、女にこれから何処に行くのかと問われる。何処かお勧めの場所はないかと聞くと、源融河原院址を勧められた。(ここに来る度に何度も通り掛かりますが、一番にお勧めする場所ですか?)初めて耳にしたふりをして、行ってみると適当な返事をした。

女に「また来るよ」と言い、私は去った。また来るだろうか。カフェだからなあ。

お茶屋で午後の紅茶:700円



先程は夕方であったので、念のため20時頃に再度行ってみた。やはりどこも開いていない。中には灯りが点いており、人の気配がするお茶屋もあるが、どこも戸は閉まっている。子供の声が聞こえる所もある。ただの民家となってしまったようだ。

夕方行った和カフェがまだ開いている。夜はバーであるらしい。他に行く所もないので、また入ることにした。 会計をしてくれた姉ちゃんが顔を出し、「昼間来たお兄ちゃんがまた来てくれたよ」とおばあちゃんに伝え、2階の和室に通される。

ビール、焼酎、日本酒、ウィスキー、ワイン等一通り揃っているが、やはりここでは日本酒だろう。コップに入った日本酒を、着物を着た別の女が運んできた。おお、こういう展開。姉ちゃんも着物の女も2人とも20代後半から30代前半くらいであり、どちらも容易に寝られるクオリティである。おっと、ここは和カフェだっけ。

女2人に囲まれて話をする。私は観光客ということになっているので、京都の名跡について話す。暫くして、常連の客が来たらしく、姉ちゃんの方は去っていった。

それから4時間は居たであろう。着物の女と京都のことや日本各地の旅行のことなど色々と話した。途中、女はその昔ここは遊郭であり、京都の遊郭で一番栄えていたと私にやや教えるにように話した。女はここが1年までちょんの間であったことは知っているのであろうか。知っていて敢えてそれには触れないのであろうか。女はどのようにしてここを知って、ここで働くことにしたのであろうか。やはり私は聞くことができない。

他にも色々と話をしたが、もう思い出すことは出来ない。日本酒を何杯飲んだかも記憶にない。一体どのように帰る流れとなったかも分からない。恐らく閉店時間となったのであろう。

私は酒を飲んで夢か現か分からなくなる時が好きだ。自己も時間も空間も全てが溶け合わさって、蜜のように流れすぎて行くこの一時。特に今日は「後ろに柱 前に酒 左右に女 懐に金」というやつだ(柱もなければ、女も1人でしたが)。しかし、夢であれば、覚めなければならないし、現実であれば、既に覚めているのだ。一体今日は何しに来たのだっけ。

店を出ると零時を疾うに回っている。終電を逃してしまった。さあ、どうしようか。昼は春の陽気でも、夜の冷気はまだ肌にしみる。

着物の女を侍らせて日本酒数杯:5,500円







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