郡山新地へ潜入せよ


2009年3月×日、長官より緊急指令が下りた

指令:郡山新地を調べろ

早速、捜査官が奈良へ向かった
なお、以下のファイルは全てノンフィクションであることに留意されたい


郡山新地ってのは、89年に滅亡したブルースあふれる(らしい)ちょんのまだ。滅亡の理由は国家権力による駆逐作戦。奈良県警が珍しく本気を出したらしい。

当時を伝えるニュースがあればいいと思って探したが、見つからなかった。なので、毎度のことながら赤線跡シリーズを引用させてもらう。

十月六日付の『毎日新聞』の夕刊が一面のトップで、「売春旅館」を告発するスクープ記事を掲載したのが発端だった。玄関の奥で顔見せをしている四人の外国人女性の写真も、不鮮明ながら大きく掲載された。翌7日早朝、奈良県警は三軒の旅館を売春防止法違反の容疑で捜索。ところが女性たちの姿は消えており、<業者らが前日から未明にかけて、組織的に別の場所に移し替えたとみて追及している>と記事にはある。

〜中略〜

それ以降、関西の新地を特集するような雑誌の企画に、東岡の旅館街が登場することは一切なくなってしまった。警察としては「売春旅館」が全国区になってしまったことでメンツをつぶされたうえ、肝心の女性を捜索の寸前に移されていしまうという失態を演じたわけだから、今後は絶対に許さないということになったのだろう。

消えた赤線放浪記より引用  消えた赤線放浪記 その色町の今は……

ちなみにこの人(著者)は、摘発前に実際に寝てるので、詳しい話を読みたい人は、本屋で立ち読みしましょう。




郡山新地は、間違いなく滅亡しているはずである。だが、ネットで検索してみると、「郡山新地」という単語がつい先日まで現役であったかのように出てきたりする。どころか、「郡山新地が復活している」というガセネタが市場に出回ることすらあるのだ。滅亡してから今年で20周年だというのに。

捜査官は、ガセネタが真実であることに0.01%の期待を込めて、跡地を訪問してみることにした。


週末の昼過ぎ。近鉄電車で奈良へ向かう。西大寺で乗り換えて「郡山」というしょぼい駅へ。



駅前には商店街が。歩いてみるが、激しくしょぼい。魚屋さんとか写真屋さんとかがあります。何これ。




地図をチェックする。郡山新地は、「岡町」とも呼ばれていたらしい。ということは、この東岡町と西岡町が捜査地点になるわけか。そして、仕入れた情報によると、「洞泉寺町」にも遊郭があったらしい。だが、こっちは「ちょんの間」ではないとの話である。

えー、ややこしいのでまとめる。

■大和郡山は郡山城を中心とした城下町として栄えていた。

■江戸時代から昭和初期まで「岡町」と「洞泉寺町」の2か所に遊郭があった。

■戦争中は空襲を逃れたので、2か所の遊郭建築はそのままの姿で残った。

■戦後、「岡町」の方は赤線になり、「洞泉寺町」は指定されずに、ただの遊郭跡になった。

■赤線時代を過ぎても「岡町」は旅館街として営業を続けた。

■89年まで「ちょんのま」として営業を続け、フィリピーナを中心とした女が在籍していた。

■89年に新聞にスッパ抜かれ、焦った奈良県警が壊滅作戦に乗り出し壊滅した。

■その後復活することなく、でも建物は残ったまま現在にいたっている。

と、いうことらしい。



GPSを起動して、線路沿いを南へ向かって歩いてみる。この縮尺なら、駅から徒歩圏内にあるはずだ。ずんずん歩いて行くと、すぐに大きな木造旅館が現れた。これか。



近辺の怪しげな路地の中に入ってみる。おお・・・・。

 

・・・・すごい景色だ。立派な建物が並んでいる。ちゃんと旅館の看板も出ている。



ど真ん中は更地になっている。昔はここにも旅館が並んでいたのだろう。

これは・・・圧倒されますな・・。



素晴らしいブルース加減。こりゃー、リフレッシュ初心者が未だに営業していると勘違いしても仕方がないよな。893の事務所もあり、裏路地はキナ臭い匂いがぷんぷんしやがる。


0.01%の可能性を検証するために、隅々まで歩いて回る。地元民からすれば、見ず知らずの人間に、冷やかしで路地を行ったり来たりされるのも、写真を撮られるのもあまり気分のいいもんではないだろう。それに、893屋さんに「なんや、ぼん!」て言われても困りますし。1行過のみで切り上げた。

旅館の玄関扉がちょっとあいてたり、パイプ椅子があったりしたら空襲警報が発令して チンコがスクランブルしてたんですけど、そんな気配はなかったですね。やっぱり滅亡ですな。引き上げよう。




城跡を発見した。城主は筒井順慶。信長の野望で出てくる、政治力がちょっと高いハゲですね。


城下町らしく、歴史的な景観が大切にされているようだ。



城は石垣だけになっていたが、外堀跡が公園になって残っていた。ふうん。鯉が泳いでるよ。こんな城跡を見ると、大阪城がいかに桁外れに大きいかがわかりますよね。





次に、洞泉寺町へ行ってみる。

地図を見たら、廓になっているのがわかる。わかり易過ぎる。





おおお・・・。すごい。立派な建物が並んでいる。


 

だが、裏風俗独特のキナ臭さはない。京都の西陣あたりを歩いているのと大差ない。年月が町に染み付いた風俗臭を薄れさせたのだろう。歴史街道って感じである。突き当りに寺がある。これが洞泉寺か。

 巨大すぎてこれで一杯一杯。

適当に写真を撮って終了。


建築物は、観光資源として使われたりもするだろう。第2の人生を歩める建物は幸せである。


で、終わってしまった。

そのあと、捜査官は近鉄電車に乗って帰ろうとしましたが、途中の生駒駅で下車しました。 え?生駒新地に行くからにきまってるじゃん。






捜査報告書:ガセ。



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