下関でソープ遊びをしろ


2011年1月×日、長官より緊急指令が下りた

指令:下関でソープ遊びをしろ

早速、捜査官が関門海峡へ向かった。
なお、以下のファイルはすべてノンフィクションであることに留意されたい


日本で最もブルースを感じさせる場所は、津軽海峡と関門海峡だと思う。

両海峡とも今ではトンネルで結ばれ、2024年には青函トンネルも新幹線が走ることになっている。でも、昔はそこを渡るには船しかなかったわけだ。きっと男と女のドラマも沢山あったに違いない。


津軽海峡は、函館側も青森側も行ったことがある。どちらにもブルージーな風俗街があった。もうひとつの本州の端にある関門海峡にも何度か行った事はある。渡れば門司、手前は下関という街で、本州側の下関にはソープランド10軒ほどある。

そもそも私が下関のソープランド街を知ったのは、雑誌の特集だった。10年くらい前に月間ブブカで連載されていた「風俗地帯全国行脚」というやつだ。26回目の探訪地は「下関」と「小倉」で、ライターの四谷新は、下関で入ったソープランドの待合室で客のおっさんに「お兄ちゃんオキアミするん?それともイカ?」と声をかけられ、『漁師と間違われたのは生まれて初めてのことであった』と言っている。

つまり、それほどブルース溢れるソープ街なのだ。読んだ当時は何とも思わなかったが、10年の間に私は重度のブルース症候群に冒されてしまい、改めて読み返してみると、どうしても行きたくなってきた。私も漁師に交じって下関のソープでババア相手に中出しがしたい。



やってきました

その日は雪が降っており、とても寒かった。でも、そんな気候のほうが今日の気分に合っていていい。

以前にここに来たのは、たしか2年半ほど前か・・とても暑い夏の日。2号線を東から走ってきて、関門トンネルを抜ける前に下関の街に寄った時だ。コンビニでビターな珈琲を飲んで休憩する私の横で、一人のお兄さんがフル装備の私のゼファーを見ながら、話しかけてきた。「自分もホントは日本一周に行きたいんですよ」と日焼けした顔でしみじみ言われたのが印象的だった。しばらく話をしていると、お兄さんの嫁と子どもがコンビニから出てきたので、連れだって去って行ったが、まあ人生なんて何を取るかですよ。明日にはどうなるかなんて誰にもわからないし。そして1回しかない。それが人生。

 駅周辺

駅の東側はサロンなどの風俗があり、西口はソープ街になっている。かつての下関には遊廓が3エリア、赤線も2つあったが、ソープランドはそれらの跡地に建っているわけではないようだ。下関駅からすぐの「まるは通り」という道の左右に並ぶ形で小さなソープ街が形成されている。「まるは通り」という名前は、「マルハ(現:マルハニチロ水産)」の本社がここにあったからだ。企業城下町かな?

遊廓に関しては、『(壇ノ浦の)平家滅亡の際に生き残った女房達が、其の日の糧を得る為めに春を売ったのが始まりで・・』 と文献に書かれている。遊廓建築も残っているので、興味のある人は「赤線跡を歩く2」などを読まれたら面白いのではないかと思う。※赤線跡を歩く〈2〉続・消えゆく夢の街を訪ねて (Bibliotheca nocturna)

 マルハの前身は大洋漁業

現場にはマルハの跡地の石碑が立っているだけで、会社は無くなっていた。本社は大昔に東京に移転し、建物は支社として使われていたが、ここ3年くらいの間に取り壊されたようだ。

でも、まるは通りという名称はそのまま残っている。もっと賑やかなのかと思っていたが、寂れまくっている。いや、昔はもっと賑やかだったんだろう。捕鯨最盛期のころなんかは・・。マルハは大洋ホエールズ(現:横浜ベイスターズ)のオーナー企業だったくらいだから。(ホエールズ=鯨のことですね)

なんかやたらとマルハに関して詳しいが、それは私が魚肉ソーセージが好きだからだ。旅に出るときは魚肉ソーセージを3本くらい持っていく。なお、一番でっかいやつ(コンビニでも購入可能)はフェラチオの練習をするのにこの上ない大きさ・長さ・柔らかさである。昔はこれで何度かフェラチオの練習をしたことがある。歯形がつくと、「あ、今のは痛かったな」とか。

まあ、そんなことはどうでもいい。

国道を歩いて、奥の方まで回り込んでみた。まずは全体像の確認だ。すぐに港が見えてきて、水産庁の船やらが浮かんでいる。

 港

深呼吸してみたが海の匂いは特にしなかった。寒さで鼻がおかしくなっているのかもしれない。何枚か写真を取ると、まるは通りに侵入した。さっそく客引きが声をかけてくる。

「今日は?遊びではないですか?」

客引きの強引さは普通よりちょっと控えめ。適当にかわして、さらに先へ進む。2軒目の店からは漁港関係者風の帽子をかぶったおっさんが出てきて、ガレージの軽トラに乗って去って行った。おお・・。こんな光景が見られるソープ街は、ここと福島県の小名浜くらいじゃないか。なんだか嬉しくなってきた。

道の途中の十字路のところに、まるは通りのゲートがあった。想像していたよりもはるかに小さいもので、しょぼかった。写真を取ってさらに進む。

 素晴らしい

通りの最後にあるのが、私の目当ての店だ。店舗名「関門」。名前だけで決めた。今日は何が何でも関門で入浴して中出ししたい。

店前には誰もいなかったが、開いた扉の向こうにベンチコートを来たフロントのおっさんがいた。「すぐいけますか?」という私の問いに、「いけますよ」と、控えめに言った。

「総額で幾らのコースがありますか?」

「60分で15000円、80分で・・・100分で・・・」

「女の子は何人出てますか?」

「出てますよ、でもすぐ入れるのは二人です。」

「じゃあ遊んで行きます」

狭い店内、フロントを素通りして待合室へ。待ちあいには手書きのポスターが貼ってある小学校の教室みたいだ。15,000円を払って、ぼーっと15分ほど待っていると、お呼びがかかった。

待合を出て、階段横にいたのは推定で47歳の女。でも、綺麗な女だった。見るからに玄人で程よい化粧にパーマの当たった髪の毛。体も中肉中背でいい感じだ。派手な熟女が好きな男にはドストライクだろう。そして女の出身は下関だった。完璧だ。完璧すぎるシュチュエーションだ。ブルースの舞台は整っている、あとは私が主人公になって中出しするだけだ。

赤い絨毯の上を歩いて2階へ。2階の一室に入るように促された。部屋の中は狭かったが、まあ、場違いに広いよりは今日の舞台にはいい。女のトークは控えめだが、程よいテンポで話しかけてくる。

プレイは服を脱いで、風呂→潜望鏡→椅子洗い→風呂→マットだった。

60分なのにマットがあるのは驚きだった。そういえば小名浜のソープも60分なのにマットがあったなあ・・。船の上と同じく不安定な場所でセックスする方が漁師には好まれるのか?マットでうつ伏せから仰向けに。盛り上がってくると騎乗で乗っかってきた。もちろんゴムは付いていない。

気持ちいいのはいいのだが、激しく動かれるのでなかなかイかない。

・・・さあて、どうしようか。正常位になるか?考えていると、女の動きが止まり、耳元で「いかない?」と囁やかれた。

私は、心を見透かされたような気分になり、返事が出来なかった。返事はしなかったのだが、女は再び動き出し、私は射精した。 膣からチンコが抜かれ、シャワーで洗ってもらいながら、「イったら駄目なのかと思った」と、こちらがドキッとすることを言われた。

私がどういう人間かわかったのだろう。目的は中出しだからスペルマも出すつもりだったが、この後、別の場所でセックスをする予定があったのだ。きっと、女は、私が理由があって何回もセックスをしなければいけない人だから挿入だけして出さないつもりなんじゃないかと考えたのだ。女にこんなことを言わせるなんて、私もまだまだ青二才なんだと思った。そして、さすが年季の入っているソープ嬢は違うなあ・・と思った。

私が風呂に入って休んでいると、女はガニ股になってシャワーでマンコの中を洗い始めた。膣内洗浄する女の姿を初めて見た。けっこう幻滅する格好ですね。

風呂から出ると、冷蔵庫からお茶を貰い、女はタバコに火をつけて吸い始めた。ある話題で盛り上がったが、ここでは伏せておく。

やがて時間になり退出することになった。

「満足したよ」と言うと、女も「楽しかった」と言ってくれた。1階で従業員と女に見送られて店をあとにした。







捜査報告書:ああ、下関ブルース



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