5条楽園へ潜入せよ


2005年6月×日。長官より緊急指令が下りた

指令:五條楽園へ潜入せよ

早速、捜査官が潜入を試みた
なお、以下のファイルは全てノンフィクションであることに留意されたい



5条楽園とは・・・


なんとも楽しげな名前であるが、その正体は京都の一角にひっそりと建つ料亭群である。

そして、その名前が、巷の風俗事情の中で話題に上る事は殆ど無い。恐らく女の年齢層が高めで、レヴェルの低い女しかいないからだろう。

ということは、不細工なオバハンが出てきて、ビラビラが発達した熟年層ならではのマンコをぺろぺろ舐め、捜査官が気合だけで勃起させて、汚い座布団の上で、目を瞑って時間一杯で足をピーンと伸ばして射精する・・という絵が展開されることは、想像に難くない。

でもいいのだ。輩達はそういった話を待っているのだから。


さて、今日は、膣の奥深くにスペルマを放出することが出来たのかどうか・・・


テレビ付きの電車「おけいはん」で京都の五条へ。五条大橋を渡って出光のスタンドの角を曲がると、そこが今日の目的地、5条楽園である。時刻は21時30分。人は全く歩いていない。街灯も少なく、あたりは静まり返っている。私は七条のほうから回り込んで、まずは全体像を確認する事にした。

暗く狭い路地を歩いていく。途中で一人の女とすれ違ったが、女は私のことを気にも留めず一軒の茶屋へ入っていった。

店の数は10軒くらいだろうか。空いてるのかどうか微妙な店もある。いずれにしても呼び込みなどは一切無いので、自分から店の扉を開けるしかない。

ううむ。これはなかなか厳しい。が、私もそこは捜査官。意を決して1軒へ飛び込んでみる。玄関には昔は綺麗だったと思わせるおばちゃんが立っており、笑顔で迎え入れてくれた。私は玄関口で料金を聞いてみる。おばちゃんは「ナンボだせるの?」と実にあいまいなことを聞いてくる。私は、ここの相場が40分で1万5千円〜1万8千円くらいだと、捜査に来る前に聞いていたので、とりあえず「あんまりないけど。イチゴくらい」と言ってみた。

おばちゃんはあっさり「うん、じゃあ上がっていって」といい、私を奥へと案内する。出来れば他の茶屋の対応も調べたかったが、ここまで話をしておいて「また来ます」というのは、京都人的にはやってはいけないことに思えた。

靴を脱いで、奥へと。廊下が奥へ奥へと果てしなく繋がっている。階段を上がり、1つの部屋へ案内された。遊郭時代の建物がそのまま使われており、おばちゃんによると、築130年らしい。文化財的な香りがぷんぷんしやがる。


2分ほどで、おばちゃんがアツシボとツメ茶をもってやってきた。ここで再び、本日の料金のことを実にあいまいに聞いてくる。

「今日はどうしとく?」

「15000円やろ?」

「そうやなあ、別に料金はきまってないからなあ。18000円出さはるひともいたら20000円出さはる人もいはるし。」

「ふうん」

「お兄ちゃんも1000円でも2000円でもだしといたら女の子のサービスも良くなるかもしらんよ。」

沢山の金を払ったところでサービス内容は同じであろう。私は「今日は15000円にしとくわ」と返しておいた。おばちゃんはそれ以上は勧めず、笑顔でかえっていった。

しかし、よく考えると、料金が決まって無いと言って料金交渉する風俗店なんて一歩間違えればボッタクリ店である。今もってこんな商売が通用するのは祇園と北新地と銀座くらいだろう。腐っても鯛といったところか。


一人で待っている間、部屋の中や廊下を物色してみる。そのまま日本映画のセットに使えそうな、溜息でもでそうな見事な造りである。しかしどこか陰気な空気を感じる。



10分ほど待っただろうか、着物をきた、決して可愛くない女が現れた。年齢は28くらいか。地味な化粧のため、ぱっと見は33くらいに見える。

女は、私をせかすことも無く、まずテレビを付け、雑談を始めた。私は、この地にまつわる話を聞きたかったのでいろいろ質問してみる。

この茶屋は、5条楽園の中でも1,2を争う古さらしい。当時は屋根裏部屋に遊女が住んでいたという。派遣される芸子は皆、着物を着ているが、ごく少数スーツなどの場合もあるという。そして、たまには三味線の稽古をしにいくそうだ。女は、なんのためにもならない形だけの三味線の稽古は嫌だといっていた。


話が途切れたので、私は時計を外し、セックスをする合図を送った。女もそれに気付き、着物を脱ぎ始める。プレイは座布団を5つ並べてベット代わりにし、その上で行われる。私は最近、こんな地味な女とSEXしていなかったので、上手く出来るか少し心配になった。しかし、その心配とは裏腹に、女は主導権を持ってSEXを進行させる。

乳首からチンコへとリップサービスがあり、それなりに時間をかけてしゃぶってくれた。私はマンコに手を伸ばし、湿り具合を確認する。しばらくいじってみたが、濡れる気配は無い。ゴムがつけられ挿入することにする。 正上位で合体。乾いたマンコなので気持ちよくない。さっさと射精してしまおうと思うが、興奮する要素が少ないので、多少時間がかかってしまった。

だが、女は、私が腰を振っている際も「死ぬ」「すごい」だのあえぎ声を出し、私が行く瞬間には「ああ〜いく〜」と言って体を痙攣させる見事な演技を見せてくれたのだ。

乾ききったマンコにゴム擦れの違和感を感じながらのSEXにも関わらず、女のプロらしい仕事には頭が下がった。可愛くなかったという理由でマンコを舐めようともしなかった自分は、リフレッシャーとして失格であると反省した。


風俗は今、敷居の高い仕事ではない。が、やはり赤線は、そのなかでも特殊である。ここで働こうと思っても、その敷居は決して低くは無い。この地味な女は一体どういう経緯でここに流れてきたのだろう。聞けばいいいのだが、いつも、どうしても聞くことが出来ない。これは、私が今後調べたいと思っているテーマの一つである。



しかし、ここにこんな建物が残っているという事実を知っている人間はどれだけいるのだろう。私は京都人であるが、その存在を知らなかった。三十三間堂や金閣寺には敵わないが、妙心寺や仁和寺よりもインパクトがあるように感じた。ま、歴史の重みは数段違いますがね。

百何年たってる小学校を保存するべきとか言っている血迷った市町村があるが、こういった建物にこそ税金を投入し、保存すべきである・・・

そう思いませんか?





捜査報告書:白々しいSEXで15000円也


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