指令:松山でちょんの間に潜入せよ





愛媛県は松山。城下町として発展。陸の孤島と思われがちだが、大分、門司、山口などと海路でつながっており、空港も有るので、意外とアクセスは良い。繁華街の規模は大きく、安キャバしか無い四国の中で唯一、まともなクラブがある。道後温泉とぼっちゃんだけではないのだ。

戦前は陸軍駐屯地があり、現在も陸上自衛隊の駐屯地がある。お約束の風俗施設もあり、ソープが9軒、ちょんの間が3ヶ所にある。そのせいかヘルスなどの新興勢力は見られない。かつては、道後温泉と現在の松山観光港近辺に遊郭があり、戦後は赤線に移行。道後温泉は今でもちょんの間地帯であるが、松山港周辺はその名残は無い。古い資料に『松山大街道の裏町に青線』の記述があり、今回調べた千船町は、その青線をルーツに持つのかもしれない。





大分から船で四国の松山へ渡った。え?熊本と宮崎と鹿児島は?という声が聞こえてきそうだが、ここには有力なロマンスポットがないのだ。宮崎県には1箇所あるのだが、これは以前に捜査済(ファイルナンバー86参照)だ。


さて、その松山にはネオン坂というちょんの間があるのだが、これも以前捜査済(ファイルナンバー69参照)。今日の目的地は別のところだ。松山にはネオン坂しかないと思っていたのだが、他にもちょんの間が2つあるらしいのだ。それを調べようというわけ。



船が松山港に着いたのは19時35分。

ほとんど情報がないので、場所を特定するところから始める。1箇所は二番町〜三番町周辺。もう1箇所は土橋町周辺。にあるらしいのだが・・・。まずは繁華街に近い2番町〜3番町周辺から調べてみることにした。

とりあえず繁華街へと移動し、その間にグーグル検索をする。松山風俗の掲示板で千舟町・八坂・大街道などのキーワードをゲットする。

八坂は住所であると思われたが、俗称のようで意味不明。
大街道はアーケードのあるメインストリートのこと。
千舟町は現在も通用する住所で、メインストリートからすぐの所であるとわかった。




 これが大街道です。

GPSで現在地を確認する。このあたりが千舟町だ。アーケードからそれると、前方にババアの姿が。いるいる!飲食店の裏口をそっと開けた瞬間のゴキブリのように、そこかしこにババアが蠢いている。総勢8名程度いるだろうか。

  ポン引き出没ゾーン

よし、接近だ。いしだあゆみに似た一人のババアに近づくと、向こうもオレの姿に気付き、車に轢かれそうになりながらも強引に道の反対側からこっちへやってくるではないか。

ババア 「兄ちゃん、遊べるよ」

オレ 「ちょんの間?」

ババア 「そう」

オレ 「いくらですか?」

ババア 「30分8000円。女の子はどんながいいの?40分なら若い子つけられるで。40分なら12000円。」

オレ 「今日は短いのでいいですよ。」

ババア 「細い子、太い子は?」

オレ 「細いのがいいです」


こちらは最初からババア相手に寝ることを想定しているので、商談はあっさりまとまった。『40分なら若い子』なんて、今日日、新卒の営業マンでももうちょっとマシな営業トーク使いまっせ。ポン引きババアについて歩いて行くと、7〜8軒の旅館が並んでいる通りへと出た。

 旅館の並び

その並びの間に、細い路地がある。ババアはそこに侵入していく。それぞれの旅館の前には、ポン引きかやり手かよくわからないが、ババアが立っている。結構な賑わいである。もっと絶滅寸前のブルースを予想していたのだが。

「R」と看板の出ている旅館にくると、玄関口で女将へと紹介される。


早速に、女将が女の好みを聞いてきた。「若い子と・・・」

女将が言いかけたときに、ポン引きババアが「どっちでもいいよ」とオレの代わりに返事をする。

2階の1番の部屋に案内される。中は結構綺麗な部屋が幾つか並んでいる。普通に泊ることが出来ることは無いと思うが、汚いビジネス旅館よりは綺麗だった。別の部屋では女の声が聞こえる。声の感じは結構若い・・・。

どうやら、置屋に在籍している女は多いようで、それなりに選択の余地はあったようだ。もしかしたら若い子もいてるのかもしれない。しまった。もっとババアに確認して、若い女にすりゃ良かった。と思ったが、後の祭り。ババアの営業トークを見くびっていた。くっそー。 でも、自分はババア相手に生ハメすることを期待されているのだから、これで正解だったのだと言い聞かせる。

女将はあまり愛想が無かったが、「年いった人のほうが、サービスいいからな・・・」とフォローみたいなセリフを吐いて出て行った。それを聞いてさらにブルーになるオレ。

部屋で待つこと5分。推定48歳の女が現れた。中肉中背、あまり綺麗な顔ではなかった。髪型は水商売風である。

私が電気をつけて明るくしていたのを見るなり、「明るいほうがいいの?電気つけてるけど」と言い、こちらが返事をしないうちに豆球だけにした。それは、顔や体をはっきり見られたくないからだと知っているので、こちらも無駄話をせずにさっさと服を脱ぐことにした。

プレイが始まる。後ろ向きになり、背中を向けながらのフェラ。よほど顔を見られたくないようだ。腹は少し出ている。 チンコ拭きは念入りかつ激しく、がっかりした。このレベルでは、勃起が困難だが、下手糞過ぎるゴムフェラで奇跡的に勃起。

「上になってください」と言われ、上になるが、ローションは仕込まれていない。どうやって入れろというのか。しかたなく指で濡らす。クンニをしてみるか?いや、マンコがションベン臭かったら確実に萎える。どうする?さりげなくマンコに入れた指を匂いでみると、酸っぱいションベンの匂いがした。ああああ〜〜・・・・(豊後水道の渦潮に巻き込まれる人の断末魔)



あまり濡れてこないが、女は控えめに喘いでおり、年齢的に体液が減少しているのだろうということにし、挿入を試みる。 チンコをあてがって上下させると、女が一層感じはじめる。マンコは入り口がゆるく、中はまあ普通くらいか。 何往復させただろうか。ダメだ。いきそうにない。どうしよう。また、泣きたい気分になってきた。なんてセックスはつらいんだろう。

ここで、『挿入したからよしとしよう。』という逃げ道は、別府で既に使用してしまっている。同じ手法を至近距離で2回も使用させてくれるほど輩の皆様は寛容ではないのだ。声を出して御笑いあそばしになる報告書を作成するためには、やはり生チンコを挿入するしかないだろう。

ピストンの最中に、「ちょっといかないかも」と言ってみる。女は「上になってみる?」と言ったが、すぐにオレの言わんとしていることを理解したようだ。

「じゃあ、お腹の上に出して。そのまま入れて。」

ぱちんとゴムが外され、生チンが挿入された。下腹に、明日は筋肉痛になるくらい力を入れつづける。なんとかスタンバイ。女もいきそうだ。そして尿道がむず痒くなってきたときに抜いて腹の上に発射。同時にいったかは不明。

ウェッティで拭く。「やっぱり生はいいね!」と言ってみるが、女の反応特になし。

時間までゆっくりしてていいよといわれ、お茶を貰う。

「四国の人?」と聞かれる。

「ううん、京都」

終始、私に背を向けていた女だったが、オレが京都人だとわかると表情が変わった。

あたし、上京区に居た。
オレ中京区。

・・・中学校。
・・・高校。

まあ、あんまり細かく書くわけにもいかないので、会話の中身は想像しておいてください。なんでも、女は離婚してこっちに来たらしい。20歳で結婚したらしいが、早すぎる結婚は、方向性が相違したときにどうしようもない・・・て言っていた。

女の通っていた高校はもう無い。オレが生まれる遥か前に名前が変わっているのだ。そして1999年にはさらに名前が変わって女子高から共学になった。

ということは、ぎりぎりの年数で計算したとしても、女の年齢は60歳以上は確実ということになる。推定年齢48歳と思ったのだが、大ハズレだな。MAX年数で計算すると、・・・いや、やめておこう。

最後に女が、「生でして怖くない?」と聞いてきた。ああ、それで生は気持ちいいねって言ったときに返事がなかったのね。と納得。

「血液検査してるよ」と言うと、やっと安心した顔になってくれた。






タイマーが鳴り、時間になったようだ。女は玄関まで送ってくれた。「気をつけてね」と。
短い時間ながら沢山の話をした。女の喋り方に、もう京都弁の名残はなかった。


なお、女から聞いた金の流れを以下に記しておく。

女の手取りは3000円。店が3000円、ポン引きババアが2000円。直接旅館に来たら女と・旅館で折半になるとの事だった。





店を出ると、「もういってきた?」と、でかい声でポン引きババアが20M先から声を掛けてくる。
夜の空はオレの心を映すように灰色に曇っている。今夜はきっと激しい雨が降ることだろう。







捜査地点:ここらへん




捜査報告書:ああ、松山ブルース。8000円也



おまけ


紫電改。子供の頃、なんてカッコいい名前なんだと思ったもんです。松山343航空隊による松山沖の大空戦(1945年3月19日)が有名ですね。ヘルキャットとコルセア186機相手に善戦したとか。

画像の紫電改は、高知県にて撮影したものです。マニアックですいません。(訂正:愛媛県で撮影)




お小遣い帳 5日目
フェリー/大分→松山 3,500円
伊予鉄切符/400円
宿代 2,800円
飯 2,284円
ロマン代金 8,000円
ゲーセン 500円
合計 17,484円


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