66. 福岡~熊本


フェリーに乗って北九州に向かっているところですが、前回は関係ない話で終わってしまいました。



フェリーは夜に出発して翌日の朝に着きます。これは明石海峡大橋です。当時撮ったものです。意外と船の速度が速くて、すぐに撮影しないとシャッターチャンスを逃してしまいます。 フェリーの中でラーメン食ったり酒飲んだりするわけですが、また話が脱線して九州にたどり着けない可能性があるので、翌日へと場面を移動させます。


2008年 8/25(月曜日)

8:20新門司着。晴。下関へ行く。しかし特に見どころなし。九州へ戻る。コンビニで朝飯。おっさんにはなしかけられる。うらやましーって。だろうね。 若戸大橋を超えて高塔山公園なかなかよろし。景色がよろし。小倉のソプ行きたい…。行こ!行く。すっきり。一蘭粘るが空かず。16:00に出発。R3で福岡へ。 そのまま熊本に行こうとするが、どうしても一蘭。で、食う。いやー。単車止めるとこないわ。しゃーないから重箱ドンブリにする。で19:00くらいに100キロ走って熊本へ。 体調悪い。バテてる。悲しいぞ夏が去って。ランドは評判の湯らっくす。うーん。びみょー。キャパの広さを重視する私としてはイマイチやなあ。東京にいるみたいで息苦しい。 ややこいし。しかし残高あぶないナ…。マンション投資でもするか?それがヒントになる。営業というものを使って同じようなこと出来ないか??

本日走行不明キロ 総走行不明キロ 使ったお金22,930円




【14年後の回想】

朝に門司に到着しました。まずは下関の観光へ行っています。



下関は、これから九州へ入るぞ感があっていいですよね。

綺麗なんですが、もう、こういった景色を見るのも飽きてきています。すぐに観光を終えて飯タイム。コンビニの駐車場でメシ食ってコーヒー飲んでると、 推定30歳半ばくらいの男に話しかけられました。ちょっと話をして、やがて店から出てきた奥さんと子供と一緒に去って行きましたが、 このシーンは下関のファイル(ファイルナンバー199)で書いたやつです。男は「自分も行きたいんですよ、日本一周に」って言ってました。 同じことを2回言われましたね。小さい子供がいると確かに難しいですけど、やるかやらんかですからね。物事は全部そうでなんですよ。自分で壁を造ってるだけなんです。 あるいは親や先生や配偶者に壁を造られてるんですよ。 「そういうのはアンタには無理」、「これはそういうもんなの」、「みんなそうするの」って言われて、なんとんなく納得して人生を歩んでしまうんです。 風俗も「悪いもの」と刷り込まれたでしょう? なんだったら「セックス=悪いもの」ですからね。理由を論理的に答えられる人は少なく、感情と思い込みです。 しかもそれが数年たつと「適齢期になれば結婚して子供をもうけるもの」にすり替わるのですから、アホかと思います。 親や先生の言っていたことが全てではないと人生の途中で気づいた人はいいですが、気づかずに何十年も経ってしまうと京都人っぽい性格になるんだと思います。 京都人の「そういうものだから」感はすごいですからね。私が言うのもなんですけど。

人生において人との出会いは大切だとされていますが、義務教育で良い先生にあたるとラッキーですよね。 私が小さい頃は、「男の子は野球やサッカーをして外で遊ぶもの」という空気がありました(とくに野球というスポーツが今の10倍くらい幅を利かせていたんです)。 わたしは絵を描いてるほうが好きで教科書やテストの答案は落書きだらけだったのですが、最初に「それでいい。もっと描け」と言ってくれたのは小学校の時の先生でした。 それまでの女の先生には「しょうもない絵を描くな」と描くことを禁止されていたのですが、その男の先生は「描いていい」と後押ししてくれたのです。

中学の美術の女の先生は、生徒のやる気をなくすタイプ(平気で本人の目の前で「こんなのにするの?作り直したら?」という先生だった)で、 私は課題を適当にしかしなくて成績もゴミを付けられたのですが、その次の男の先生は私の作品をすべて褒めてくれて、成績も5をくれました。 そして高校になってその時の作品をブラッシュアップして作ったものが、なんちゃらとかいう賞を貰って (この時の先生は殆どしゃべらない変な男の先生だったけど私の作品をこっそりコンクールに出品していた)、才能を伸ばすか殺すか、先生って大事なんだなあと思ったものです。

で、私はべつに美大にも行ってないし、オチはないんですけどね。 ふつうはここで「以来、頑張って絵の勉強をして、ついに漫画家デビューできました」とか世界に向けて発信してイイネが1万くらいついたりするんでしょうけど。

こうやって意味不明などうでもいい話や、チンコマンコとか書いたりすることも、どうせ先生だって40人分、同じような作文を読んでもつまらんだろうから、 先生が読んで面白いような話を書いたろうと思ったのが始まりみたいです。同和の作文とか、感動体験の作文とか、社会見学の感想文とか、読書感想文とか、 消化ゲーム的な作文が沢山あったでしょう?あれ、読むほうも大変だと思うんすよ。 ほんで英語の時間の作文で「日本語でも何でもいいからとにかく1枚書いて提出」という、まさに先生が楽したいだけだろ的な課題があったので試しにキッツイ話を書いてみたら、 英語の先生に「おまえ面白いやつだったんだな」と言われて、次に理科の先生にキレッキレのを書いてみたら「面白いこと書くなあ」と言われて、 ああ、べつにこれでいいんだと思たんですよ。どうせ先生だってこれで成績を付けてるわけじゃないんだから。

でも、国語の先生だけは凄くまともなことを言われて、「君が読書をするくだりはよくわかったけど、これは本の感想じゃない」と。 たしかに「読書感想文」としては0点ですよね。読書感想文に読書の感想じゃなくて読書をするまでの感想を書いてるんだから。 夏目漱石の本を読んで感想を書くという課題だったんですが、「私は読書感想文という夏休みを台無しにする儀式が大嫌いである」みたいなことを永遠と書いたんですよ、たしか。 その先生は理屈っぽい先生だったので、赤ペンでいろいろ文法的な訂正を入れられてましたね。だけに留まらずみんなの前でその間違いを晒し物にされました。 先生なりの回答だったのかもしれません。

で、私はべつに文学部にも行ってないし、オチはないんですけどね。ふつうはここで「以来、頑張って物書きの勉強をして、 ついに小説家デビューできました」とか世界に向けて発信してイイネが1万くらいついたりするんでしょうけど。

とりあえず女の先生と相性が悪くて男の先生とは上手くいくことが多かったように思います。 女の先生にタンポンをプレゼントするセクハラとかしてたので、単に嫌われてただけかもしれません。

アタリハズレといいましても、それをどうとらえて自分の人生にするかは自分にかかっていますから、あくまでラッキー要素というだけですけどね。

中学くらいまでは自分だけでは何もできなくて、親と先生の要素がめちゃくちゃ強いから、親ガチャだけではなくて先生ガチャも重要だと思います。イチローとか中田英寿とか、ああいう次元が違う人は、周りからどんなに高い壁を造られても一撃でぶち抜くし、周りの影響で自分で自分に壁を造ってしまうことも無いんでしょうけど。

と、話が大きく脱線してますので、元に戻します。


若戸大橋を渡りたかったので、バイクで渡って70日くらい前に来たところへ戻ってきました。



したらソープへ行きたくなったので小倉ソープへ向かっています。ファイルになっているやつです(ファイルナンバー148)。 ファイルにするつもりはなかったんですが、まあ入れとこかということで入れたんです。 この時点で、まだ午前中か12時くらいだったと思います。客が全然いない小倉のソープ街を歩いて店選びをしました。このへんもファイルに書いたと思います。

1軒目のプレゼンがイマイチで、2軒目がクソで、3軒目で入ってパネルを見ることにしたのを覚えています。料金はどこも同じくらいですから、本当は最も新しい建物の1軒目でプレイしようと思ってたんすよ。プレゼンは上司と部下みたいな感じの二人体制で、後ろで上司っぽいのが一部始終を見ていました。上司が参戦するかと思ったんですが、それはなくて、私は「ちょっと他も見てきます。また来るかもしれません」と言って離れたんです。

フロントの客引きも、うまい人と下手な人がいますが、うまい人はやっぱり上手だと思います。エリアで言うと雄琴は上手な人が多い(多かった)と思います。 雄琴はチームプレイというか営業マン交代みたいなのがあって、客が入店しそうになければ上司と交代して再度プレゼンみたいなのがありました。上手というか強引なのかもしれませんが。 今までで最も気合の入ってたのは時計台のスポーツ刈りの客引きだけど、あいつはダッシュで飛び出してくるので何回か轢き殺しかけています。

「いいコいる?」というファジーな問いに 「今ならナンバー1とナンバー2をどちらもつけられますよ」とか、 「サービスいい(生でいける)子をつけますよ」とか、 「20歳の子がすぐいけますよ」とか、そういうことをサラッと返してくれる人は上手だなと思います。

ひきかえ、「また来ます」と言ったら「チッ」て舌打ちさる。これは絶対に戻る気にはなりませんよね。でもこういう客引きけっこういるよね。

時計台の男の「50分イチゴーゴ!」しか言わないプレゼンも、あれはあれで理にかなっていたと思います。他の店の女が「あの店は忙しすぎて殺される」て言うくらいだから、全てをそういう方向に全振りしてたんでしょうな。

私は、ソープではじっくり選びたい派なので、客引きのおっさんのプレゼンはかなり重要視しているのです。

で、雄琴とかどうでもええねん。いまは小倉の話で、3軒目のプレゼンがどんなだったかは覚えておりません。店内でパネルを全部見せてもらって赤いドレスの女を選んだらパネルと全然違うのが現れて、このへんもファイルに書いてますしプレイのことを振り返ってもキモいだけなので、そのへんは飛ばして。

リフレッシュした後に一蘭のラーメンを食べようとしていますが、満員で入れなかったので福岡に向かっています。 福岡でも大通り沿いのところは入れなかったので、たしか博多駅かキャナルシティかどっちかの店に行ったと思います。 重箱どんぶりというのは一蘭の変な形をしたドンブリで、食いにくいだけのやつです。 「一蘭は不味い、ぼったくりだ。俺はもっと安くて旨いところを知っている」と主張してくる人はこのころから一定数いました。なんなんですかね、あの勢力は。



たぶん当時のものと思われる一蘭の小冊子。この時は14店舗しかなかったのかね。

泊るところは福岡の都心部にある健康ランドを予定していました。ところがランドの駐車場が満杯で、お値段もけっこうしましたので、 福岡で泊まるのを辞めて優良な健康ランドがある熊本まで100キロ走ることにしたのです。九州の地理や健康ランドはまあまあ知っていましたので。



国道3号を100キロ走ると熊本に着きます。ゆらっくすという健康ランドへ。ピースフルの系列だと思います。ピースフルの方は何度も利用してて、 ちょっと気分を変えてここにしたのですがキャパがあんまりなくて微妙でした。1泊2550円でした。

この日は家賃(西成の空家賃)を入れたりして結構な金を使ったみたいです。そのあとに書かれているマンション投資が何なのかは不明です。 金が出て行くばかりなのでなんか金を手に入れる方法を考えていたんだと思います。

このへんから買い物レシートを残すのを辞めたみたいで、金額の記録だけになっています。何食ったか不明。走行距離も記録していません。 九州を電車で回っていた6月と比べると、明らかにやる気が低空飛行になってきています。

そろそろ旅の終わりが本格的に近づいてきているようです。終わらせたくないのですが、沖縄が終点になることくらいはアホでもわかります。 もう先に進む道が無くなってしまいますので。そのあとどうするかは全く考えていませんでした。パスポートは持っていないので、最果てまで行ったとしても与那国島。 台湾へ渡るという選択肢はありませんでした。



北海道行きのフェリーで一緒に酒を飲んだ人たちは、ここから更に先へと進む人種だったんだなあと。世界一周なんてオレにはとてもそんな大それたことは出来ない。自分の限界をひしひしと感じていました。

なぜ自分にはできないのか。明確な理由はなくて、取って付けた理由しかありません。その理由はおそらく論理的に覆せるものです(パスポートがないという絶対的な理由はありますが、取りに帰ればいいだけだし)。壁を構成している要素の多くは、今の自分の感情と生まれてから今に至るまでの環境です。そうです。自分で壁を造ってしまっていたのです。


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