65. ヘリーに乗って


8/24(日曜日)

大阪南港から九州まで行くフェリー予約。ヘリーは新門司港行きのやつで2等+特殊手荷物で12,650円。





【14年後の回想】

前回、南港から新門司行きのヘリーに乗るところまで振り返りましたが、今日は乗っているところです。 瀬戸内海のフェリー料金、今はもっと安くなっています。関西―北九州航路は名門大洋と阪九フェリーと2社あるんですが、どちらも10000円くらいです。

船の中でカップラーメン食って酒飲みました。翌朝までは船内で過ごすことになるのですが、 カップラーメン食って旨かったとかゲームコーナーのスロットが楽しかったとか明石海峡大橋が綺麗とか書いても面白くないですから妄想劇場でもいれよかと思ったりしましたが……。

妄想劇場は、旅の終わった時くらいに毎日が暇だからいろいろ書いた奴がありましてね。それを適当に引っ張り出してこれに載せてるんですよ。 ほかにもいろいろあるんです。ぜんぶあんま面白くないけどね。


「47都道府県ぜんぶ行ったことあるんですか?」

当時よく聞かれました。全部行ったことはありますが、あんまり意識したことはありません。47都道府県でセックスするとかも興味なかったです。 でも島には興味がありましてね。沖縄までのスケジュールでも途中で島に渡る予定になってたと思います。

いままで行ったことのある島は、淡路島、小豆島、大三島、因島、佐渡島、屋久島、その他いろいろ……、 メジャーなところが多くて、そんなに変なところはたくさん行っていないですね。まだまだ行きたい島は沢山あります。一番行きたいのは択捉島ですが、これは行けそうにないですね。

北海道にいたときに礼文島に渡ったのは、今行かなければ二度と行かない場所だというのが明らかだったからです。ぜんっぜん楽しくありませんでしたけど。島旅はやはり「この島に行きたい!」という思いが育ってから行くのがいいのだと思います。

もう大昔ですが、屋久島にずっと行きたくて(縄文杉とウイルソン株を見たかった)、やっといけて、その次の年くらいに佐渡島に行きました。佐渡島は、金山を見たかったのです。 旅行記は書いていないです。写真はありますけどね。ああ、そういえば因島とかの旅行記は残ってますね。淡路島のも残ってるかな。 ほかにパチンコ屋に毎日通ってた時の日記とかも残ってますね。いずれも大昔にもるだの塔で公開していたやつです。でもさすがに再アップできませんね。このへんは。

佐渡島って言ったら金山が有名でしょう。だから行きたかったんですよ。当時から山師としての素質はあったんだと思います。ええ、時系列に気を付けてください。 すでに完全版とは違う、まったく別の思い出話が始まっているみたいですよ。

当時、私は人生が絶好調だったようです。そこで、季節が夏だったということもあり、リフレッシュに行く必要があると思ったのです。普通のことでは面白くない、ちょっと冒険がしたいなあと思いまして、地図を見ながらいろいろ考えていたところ、佐渡島を思い立ったわけであります。こりゃいっちょ行くしかないべ。 気が付いたらバイクに乗って1号線を東へ向けて走っていたわけです。

「1号線を東へ向けてバイクで走る」という人生の凱旋パレードみたいなのは、何度かやっています。当時は、人生がフィーバーすると、とりあえず東へ向けて走っていたみたいです。

国道1号線から161号線、8号線と走行したのだと思われますが、もしかしたら高速に乗ったのかもしれません。なんせ当時の記録がありませんでね。 このとき乗っていたバイクは川崎のゼファー400Xというちょっとお高いやつでした。 Xは正確にはX(エックス)ではなくてラテン文字かなんかで「カイ」って読むんですけど、あんまり川崎らしくないネーミングですよね。たぶん曲線なのが似合わないんだろうね。 ほかにZXとかZRXとかXJRとか変な名前のバイクが沢山ありました。 XJRって今の感覚ではだいぶ変ですけど、当時はXをペケと読んで、ペケジェーアール、略してペケジェーと呼んでいました。ええ、そんなことはどうでもいいので話を先へ進めます。

当時の佐渡航路は新潟―両津・直江津―小木・寺泊―赤泊の3つがありましてね。あと、飛行機もあったんですよ。新潟空港から佐渡空港までの。 所要時間20分くらいのやつ。乗りたいと思ってたんですが、いつだったかに廃止になってしまって乗れませんでした。



私が乗ったのは、果たしてどの航路だったのか…ちょっと思い出せないです。

いずれの航路でも新潟まで行かねばならないのですが、距離的には大阪から新潟まで数時間で行けるもんではありませんので、 おそらく前日夜に出発して深夜にルネス金沢に泊ったんじゃないかとも思いますが、そうだとしても金沢から最寄りのフェリー乗り場(直江津)まで距離だいぶありますね。 しかし、1日で富士山に登って下りてきて女に会うために名古屋まで戻ったという若かりし日の実績を考えますと、 ここでも気合で走って新潟港の岸壁で一夜を明かした可能性もないわけであります(朝一番のフェリーに乗るために岸壁で寝るという荒技は過去に何度か使ったことがあります)。 ちなみにルネス金沢というのは京都のA社が経営していた高級健康ランドで、だいぶ前に潰れています。会社が倒産したんだったと思います。 健康ランドなのにジュースの自販機が1つも無くてレストランでないとドリンク買えない仕組みというぼったくり仕様でした。 でもあのバブリーな雰囲気が好きで何度か利用したことがあります。退館時に1000円の割チケくれるから、それを次の入館時に使えばそんなに入館料は高くないという、 でもそれは算数できない人を安くで入館させといて入館してから金を使わせる仕組みが充実してたんだろうなあと。気が付いたらけっこう金使ってるで!みたいな。 さすがパチンコ屋やってるだけあるなあと。スタッフも美男美女揃いで、挨拶も笑顔でしっかりできる人ばかりで、さすがパチンコ屋やってるだけあるなあと。 風呂上がりに深夜のレストランでレモンサワー飲んだのを覚えてるよ。可愛いお姉さんがオーダー取りに来てくれてジョッキでサワーを持ってきてくれたんだ。 呼ばないとオーダー取りに来ないレストランが多い中、気が利くなア、さすがパチンコ屋やってるだけあるなあと。ああ、この話どっかで過去に書いたことある気がしますね。

じゃあ書いたことない話をしましょうか。わたし、新卒の時に、この会社のセミナー参加したことあるんですよ。それだけに飽き足らずエントリーもしたんですよ。 面接で落ちたんですよ。あはは。この会社はピークの売り上げは確か1000億くらいあって、パチ屋とか合わせて40店舗くらい、海外にも事業所を持ってたんですよ。 儲かってたんでしょうねえ。

だいぶ前に倒産して、いまは本社ビル跡がライバルだったB社のパチ屋になってますよ。あはは。さらに面白い話しましょうか?  私、そのライバル会社のB社も新卒の時に受けたんですよ。面接で落ちたんですよ。あはは。B社はそのときまだ小さい会社でしてね。 それが今では偉い大きくなって年商500億もあるみたいですよ。

とっておきの面白いエピソード教えてあげましょうか? B社の採用担当(面接官)から携帯に電話がかかってきたときに、わたしパチ屋にいたんですよ。 誰かわからんくてパチ屋の騒音の中で電話に出てしまったんすよ。しかも遊技してたのがその会社の経営してる店舗だったんすよ。 電話出た瞬間、「あ、これ落ちたわ」って思ったんですが、なぜか君は面接来てって言われましたよ。 で、後日面接に行ったら電話出た時に遊技していた店舗の2階が事務所でしてね。そこで面接でしたよ。これは本当の話です。

ほんで、これは本当にここだけの話なんですが、その会社の系列店舗で遊技中に、「ハンドル固定するな」って注意受けたことが何度かありましてね。 もしかしたら履歴書の写真見て「あれ?こいつ固定遊技の男やん」「根性あるか本当のバカのどっちかだから面接しよう」ってなったのかもしれないすよね。 「じゃあ、こいつ今1階で打ってるから電話してやろうか」ってモニター見ながら言われてたのかもしれない。

で、お前はパチンコ屋で働くことに興味があったんかと言われれば決してそうではなくて、カジノで働きたいと思っていたのです。 就職活動始めたばかりのころ、パチンコ屋はカジノに最も近い業界なんじゃないかと思っていたのです。 先見の明が過ぎたのか単にバカだったのか。それから風俗店でも働きたいと思っていましたね。 オレなら絶対出世して大ピラミッドの頂点に立てるんじゃね?って。風俗業界は日本で一番実力主義で金が稼げるって思ってたんです。 給料がいいというよりは、経営者になってブイブイ(死語)いわせたかったのです。若いっていいですね。 あ、もちろんメーカーとか商社とか小売りもエントリーしていましたけどね。おまえ志望業界も職種もブレブレやんって思わないでください。 当時は超就職氷河期だったので「行きたい業界へ行く」の発想で就職活動してるのはエリート学生だけだったのです。 あ、それからたまに日記で書いてるビデオ屋さんで働いてたってのは大学生の時のアルバイトです。

いやあ、懐かしいなあ。あのころは団塊世代が現役だったからな。「即戦力を求めている。ウチはやったらやっただけ出す」と言っときながら「給与はいくら貰えますか?」 て聞いたら「君の年齢なら18-19万」とか、アホみたいな面接するジジイも多かったですよね。 そういうのは第二新卒のときの就活のほうが面白エピソードが沢山あるなあ。「アナルなあいつ」で書いたようにエロビデ会社も受けたことありますよ。 こういう業界は話が早いんですよ。面接アポ取りは手っ取り早く電話でして、電話出た事務の女の人に「うちアダルトビデオの会社なんですけど」って言われて、 「存じております」と言ったら「あ、そうですか、じゃあ来てください」みたいになりましてね。 指定日に面接行ったらエロビデオ作品が並んでる応接室に通されて面接が始まるわけですよ。 そんで面接してくれた茄子みたいな顔をした男性に「ビデオの出演とかは一っっ切ないからね。それは安心して」って念押しされましたよ。 この会社はけっこう大きいメーカーでしたけど受かりましたね。受かったっていうか面接途中に「君はもう採用だから」って言われたんですけど。 今から思うと人生5本指くらいに入るまともな面接だったと思います。そもそも面接は試験じゃないからな。 お互いの思惑や経験値やスキルが合致したらすぐに決まるし、そうでなかったらすぐに終わるし。 面接で給与の話したらダメとかああいう謎ルールなんなんですかね。 私が採用面接するときは、必ず「給与はいくらくらいほしいですか?」って聞いてたけどな。 でも、答えに詰まるやつとか、「年齢くらいは欲しいです」とか言うやつがけっこういるんですよ。日本の社会システムを実感する瞬間ですよ。みんな洗脳されてるよな。



で、何の話でしたっけ? 

ルネス金沢から脱線したんですね。ルネスに泊まったかどうかはどうでもいいのです。なんしか朝一番のフェリーで佐渡島に着いたわけです。 目的は佐渡金山ですが、朝早すぎてまだ金山の観光施設がOPENしていない時間なので、時間潰しに山の中をバイクで走ることにしたのです。



この海岸線を一周しようとしていたんだ。だんだん思い出してきた。 暑いので上半身は裸みたいな恰好をしていました。

あれは忘れもしない、峠の下り坂。県道81での出来事です。車が離合できない狭い林道のような山道で、アスファルト舗装されていましたが路面はだいぶ荒れていました。 ゆるい左カーブで、右側には川が流れていました。速度は30~40キロほどだったと思います。ゆっくりのんびり走っていたのが幸いでした。

突然こけたんですよ。何の前触れもなく。後輪が右に滑って左側に凄い勢いで倒れました。何が起こったかわかりませんでした。

事故が起こると時間がゆっくりになるといいますが、私の場合も同様でしてね。 まず、路面に叩きつけられた瞬間に、なんで後輪が滑ったのかを考えました。でもわからないのです。段差はなかった。ブレーキは前も後ろも使っていない。 タイヤになにか倒木でも挟まったのか? なんだろう。

考えました。

そして、結論が「砂利に乗ってしまった」でした。2輪車なので、砂や砂利に乗るとこけるんですな。 バカみたいな話ですがバイクにとって砂利というのは強敵で、変な角度で乗ってしまうと転倒してしまうのです。

路面に叩きつけられてからは滑走が始まります。その間に色々考えます。

こんな離島の山奥でバイクが壊れたら帰れなくなる。どうしよう。 ああ、明日遊びにいく約束してたのに、これじゃ約束を守れないなあ。 ところでここは携帯通じるんだろうか。

とまりません。

長い。はよとまれ。 これ体ちょん切れたりするかな。 骨折はするかもしれない。 これ逆方向に滑ったら川に落ちてたなあ。落ちてなくてもガードレールに挟まって大変なことになってたかもなあ。

まだ停まりません。

もう考えることなくなったな。結論出たし。そうか砂利か。あとはバイクが大丈夫なら。体も大丈夫なら。生還できる。もしかしたら金山にも行けるかもしれない。

で、山側にぶつかってとまりました。

たぶん滑走していたのは数秒ですが、めちゃくちゃ長かったです。脳内では1分くらいの長さがあった気がします。緊急事態なので脳がマックスパワーになるんだと思います。

停まってから最初に取った行動は…なぜかエンジンを切ってバイクを起こしましたね。ガソリンタンクはさかさまにするとガソリンが漏れてきますので、 引火しないようにエンジンを切ったのですが、なんでそんな冷静だったのか……。それからバイクを起こして……。これはバイク乗る人あるあるですが、 自分の体よりバイクが気になってしまうのです。バイクを立てますと、自分の体を確認します。手が2本ついているのを確認しました。 続いて、足も2本あります。胴体は穴は開いていません。首は左右に動きました。 ああ、死ぬケガではないなあと安心しました。体の左側の感覚がなかったので骨は折れてるかもしれないなあとか思いましたが、一安心してその場に座り込みました。 そして、ヘルメットを脱いで改めて体を確認しますが、体の左側面が大根おろしになっただけのようです。グローブを付けていましたが、残念ながら左の小指が潰れていました。 不思議なことに痛みは全くありませんでした。

とりあえず、すぐそこに流れていた川に体の左半分を浸して食い込んだ砂や砂利を落とします。水が冷たくて気持ちいい! あまりに気持ちよくてああーっと声が出ました。たぶん脳がへんな状態になっていたんだと思います。冷たい水につけてると温度が下がって感覚がマヒしてくるので、 そのすきに食い込んだ砂やらを落とします。全部落とすことは出来ませんでしたが、だいたい綺麗になりました。左の小指は洗うと骨っぽいのが出てきましたが見なかったことにして終了。 痛みは全然ありません。金山へ行くことにしました。

金山に着いた時には、左腕から血や変な汁が出てきてグチャグチャになっていたのですが、気にせずに観光することにしました。坑道に入って、案内板を見たりして。 ゆっくり歩いて坑道を見て回っていたときです。 離れたところにおばさんが立っていました。ずっとこちらを凝視しています。私は白いシャツを着ていましたので、ああ、しまったと思いました。 血まみれだったので幽霊だと思ったようです。これは本当の話です。作り話ではありません。おばさんの顔がね。あんな顔になるんですね。

それで、さすがにもう帰ろうと思いましてね。さっきまでは平気だった左腕と左足もだんだんと痛んできますし。

皮膚が無い部分に風が当たると猛烈に痛いので、そ~~~っと上着を着て、港へ向けて走り出します。途中で薬局を見つけたので消毒薬と包帯を買って自分で処理しました。 処理っていっても消毒液をぶっかけて包帯でグルグル巻きにしただけですが。

帰りのフェリーは、おそらく距離的に最短の寺泊か直江津行きのだと思うのですが覚えていません。どっかに撮った写真があるはずなのですが、ちょっと探すことが出来ませんでした。 フェリー乗り場で知らないカップルに「それ大丈夫なの?」って声を掛けられたのは覚えています。 痛いけど我慢できる痛さだったので、大丈夫という事にしていたのです。

ところが、船が本州に着いてから更に痛みが酷くなってきて左腕を動かせなくなりましてね。バイクの運転に支障をきたすようになったのです。 スロットルとブレーキは右腕を使うので問題ないのですが、シフトが出来ないんですな。左手が動かないので。 ミッションのバイクというのは右手右足、左手左足すべてを使って運転するのですけど、左側にはギヤを変えるレバーとペダルが付いているのです。

左足はなんとか動くにしても、左手は痛くて全く動きません。これでは発進ができない。

どうすべえと悩んでいたら、いいこと思いついて、高速道路だったらずっと6速でノンストップだからシフトしなくていい。いけるやろと思ったんですな。

で、幸いにもすぐ近くに北陸道のインターがあったので(たぶん着いたのは直江津港だな)、 高速に乗ることに。料金所はニュートラルでやり過ごして、料金所抜けたところでレーサーのように気合を入れるわけですよ。

とりあえず最初から2速に入れます。ゼファーXは排気量が400ccですので、半クラをうまくやって繋ぐとスロットル回してなくてもエンストせずに動きます。 あんまり覚えてないんですけど、たぶんそうやって動かしたんだと思います。レバーはたぶん脇とかで挟んで押さえたんじゃないかな。 そんなこと出来るのかと思いますけど実際に乗って帰って来たわけなので、何らかの方法でクラッチレバーを操作したわけです。

車体が動き始めますと、飛び乗ればいいだけです。あとは右手は動かせますからスロットルを開けて、スピードが乗ってきますと、クラッチレスでシフトするんですな。 エンジン回転数がギアと合致していますとクラッチを繋いだままでもシフトアップやダウンが出来るのです。詳しい仕組みは知りませんけど。

F1でもセナがマクラーレン時代に6速だけで走って優勝したとか、シューマッハがベネトン時代にピットから5速発進したとかありますので、 エンジンやミッションというのはたぶんそういうことが出来る仕組みになってるんだと思います。だったら低速ギアもクラッチも要らないんじゃないかと思いますが、 ベネトンのメカニックの人も「彼に6つもギアがいるのか疑問だ」と言ってたので、もしかしたら本当に要らないのかもしれません。

こうして、ずっと6速のままで北陸道→名神と走り、翌日の明け方に京都で高速降りたところで力尽きて、見つけた病院へ行ったら産婦人科で、 外科は診療外だと言われたのですが死にかけてる私を見かねた看護師が応急手当をしてくれて、今思うと金払ってないような気もするのですが、 応急手当てしたから大丈夫だろうということで病院を出てそのまま遊ぶ約束していた友達と遊びに行って、 友達の運転で四国と鳥取へドライブに行って夜に帰ってきたら腕が死ぬほど痛んできて、見たら汁がありえないくらい大量に出ていて素人目にもヤバ気な感じになっていました。 なんか熱っぽかったので体温計で測ったら余裕で体温38度超えてました。こらやばいと思って明日は朝から病院に行くベと。その夜は痛くて眠れなかったのですが、 ああいう外傷の痛みは腹痛とか頭痛とか内からくる痛みよりは耐えられるので、我慢して我慢して朝になったら急いで整形外科に行きました。

診察室で先生にめちゃくちゃ怒られましたよ。なんで事故したときに救急車をよばなかったのかと。そいで、麻酔なしでいきなり手術みたいなのが始まって切られました。 「腐ってるから切り落とす」とか言われて肉を大きなハサミみたいなので切られたんですよ。驚きましたよ。でも痛いとか言ったらダメそうな空気だったので我慢しました。 とても痛かったです。

ケガは擦過傷だけだったんですが、治療が遅れたから腕が腐ってきてたみたいです。たしかに48時間くらい経ってますからね。大根おろしも夏に常温で2日たったら腐りますよね。

そして、外傷というのは消毒液をつけたりしたらダメなんだと先生に言われました。水道水で洗って清潔に保って放置しておくのが最も良いんだと教えてくれました。 消毒するのは戦中戦後くらいの衛生状態が良くない時代の治療法らしいです。日本の水道水は綺麗だから洗うのが一番いいって言ってました。 事故直後に佐渡島の美しい清流に腕をつけて洗った私の判断は間違っていなかったみたいです。でもその次の判断が少し間違っていたみたいですね。

こうして、とりあえず治療は出来たんですが、夏なのですぐに腐ってくるんですよ。だから、こまめに腕を洗うんですな。 汚い話ですが、やっぱり腐ってくると臭いんですよね。自分の腕なのに。それを洗うとね、気持ちいいんですよ。 これを洗わないとハエが寄ってきて、はだしのゲンみたいにウジ虫だらけになるんだと思います。そうなる前に病院行ってよかったよ。

洗った後はハイドロを当ててラップでグルグルにします。そのままだと見た目がグロいので、その上から包帯でグルグル巻きにします。それを繰り返してたら治りましたよ。

いまでも傷は残っていますが、ほとんど見えなくなりました。小指はなんとなくおかしいというか、右小指より少し動きが制限されていますが、とくに支障は無いです。 潰れて骨が見えていたところは塞がりました。骨折したことないんですよ。骨は丈夫みたい。

もし左手小指の先が無かったら、人に見られたときに困りますからね。良かったです。

で、これ、何の話でしたかね。たしか島の話でしたね。まあいいや。旅行記に戻ります。



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