51. 三沢~気仙沼


東日本編の出がらしエピソードで20回も引っ張ってしまいました。今日からまた最果て編の続きです。

2008年8/2(土曜日)。北海道は苫小牧を後にしたフェリーです。24時ちょうどに出航しました。現在地です。





これまでの行程はこんな感じになっています。


まずは当時のノートより。

『中国人?の中学生?らしき団体客が2等船室で騒いでいる。深夜だぞ。みんな寝てるのに。怒鳴ってやろうか。みなさん50人くらいで深夜1時にはじまった謎のレクリエーションで大騒ぎ。1時間続いて深夜2時にやっと静かになった。くそったれ土人め。引率者は頭おかしいんじゃないか。でも日本の思い出を嫌なものにするのもなんだしなー、しゃあないか。』

2等船室でしたので、全員が1つの大部屋です。深夜なのに外国の修学旅行生っぽいのが50人くらいでゲームを始めてギャーギャーうるさかったのです。

2008年はインバウンドとかいう言葉もなくて、観光地は日本人の方が多いのが当たり前だったと思います。まさか中国がこんな大国になって観光客が押し寄せてくるとは思っていませんでしたねー。いまはコロナでまた静かになってますが。

このころの中国は国家主席が胡錦涛で、韓国は李明博、米国はブッシュジュニア、日本は福田でした。中国が初めてのオリンピックをするとかで、絶対に成功させるという雰囲気が日本にもひしひしと伝わってきておりました。ちょうど毒ギョーザ事件があって、胡錦涛が急に日本に来て。非常に単純な発想ですが、世界はとても単純なのかもしれません。まあ、大統領や首相が何の理由で来日してるかなんかみんな知らないですし。抹茶アイスクリーム食ったとか寿司屋行ったとか、どうでもいいことは知ってるけど。何の権限もない日本の天皇に会いに来るのもなんか損得の理由があるから会うんでしょうね。タレントに会って握手するのの上位版だと思ってる愚民もいるけど大統領はそんな暇じゃないと思います。 まあそんなことはどうでもよくて、たしかこの5日後くらいに北京オリンピックが開幕だった気がします。健康ランドで新聞とかテレビとか見られますので、旅をしていても最新ニュースはそれなりに把握していたのですよ。

1時間ほど謎のゲーム大会が続いて、やがて静かになりました。そして日付が変わって8/3です。



2008年 8/3(日曜日)
7:30に着くが、30分くらい待たされる。トラックの後に出発。三沢を目指すが途中で雨。合羽を着るが激しい雨のためサンクスで休む。コーヒー飲んで雨が上がったので走る。三沢博物館の最大の目的は本物の戦闘機。F16の本物。乗りたかったがハズいのでやめとく。しかし子供にあれのよさはわかんのかね?中はどうってことなくて科学館て感じやね。ま、あんなもんでしょう。で、八戸へ戻る。八食センターへ行くが、凄い人。ライブもやっててやばいくらい人が多い。何も食わずに走る。リアス式な海岸を走って安家洞へ。途中までしか入れず残念だなあ。で、急いで県道7で龍泉洞へ。日曜とあって凄い人。中はなるほど美しい。地底湖が濁ってたのが残念だ。R455→R45。ここでシュラフを落とす。宮古でマースの横を通って、ローソンでメシ休憩&AさんへTELで8:30くらいにまた走って気仙沼へ。花火みる。まつりやまつり。ランド湯みえーる。何じゃこりゃー!! 

本日走行不明キロ 総走行不明キロ 使ったお金9,866円


【12年後の回想】

フェリーを下りて、まずは港近くのサンクスでコーヒーブレイク&雨宿り。サンクスはコンビニですよ。もう無くなったブランドですけど。



レシートが残っていました。 このサンクスは今はファミリーマートになっています。

フェリーでショートカットしたおかげで、八甲田山と十和田湖はとうとう未訪問になりました。酸ヶ湯温泉とかも行きたかったんですけどねえ。CPが酸ヶ湯は行けって言ってたので。あの女のおすすめは結構信頼できたのです。三内丸山遺跡も行きそびれました。やっぱり函館経由で行っとくべきだったかなあと、今さらながら思います。

コーヒーブレイクが終わると小雨が降っている中、三沢基地を目指します。戦闘機やらを見たかったのです。








操縦席に乗ったりできるやつもあるのですが、小さい子供と一緒に並ぶのは無理なので断念しました。




三沢基地の後は、八戸市街へ戻りました。八食センターというのは市場のようですが、まったく覚えておりません。そのままR45を道なりに走ると海岸沿いへ出ますので、ずっと海沿いを南下しています。八戸や三沢に裏風俗があるのは知りませんでして、仙台まではリフレッシュは無いなと考えていました。いちおうネットで検索とかはしたけど、目ぼしい情報はなかったのです。

さらに、ここから仙台までの間は、風俗以外の見たい景勝地や行ってみたい施設もなかったので、地図を見て面白そうなところに寄り道するスタイルをとることになります。とりあえず安家洞と龍泉洞という洞窟が面白そうだったので寄ることにしました。久慈市からヘキサ7に入って、まずは安家洞です。






中は10キロ以上あって迷路みたいになっています。入れるのはそのうちの700mくらいです。その700mも 北海道にいたときに発生した地震(岩手・宮城内陸地震)の影響で、立ち入りが制限されていました。洞窟の途中のいいところで引き返すことになりました。残念。




続いて龍泉洞。安家洞から少し南へ行った県道7沿いにあります。

ここも3キロ以上(未調査の部分も合わせると5キロ以上)ありますが、入れるのは700mくらいです。途中に深さ100mくらいの地底湖がありまして、透明度が凄いらしいのですが、 地震の影響で濁っていました。残念。





汚ねーw


それからまた走り出してR45に戻りますが、走行中にシュラフを落とすというアクシデント。シュラフが無いとテント泊が出来ません。夏とはいえ、東北地方、明け方は冷えるはずです。銀マットも北海道で落としていますからシュラフはどうしても必要です。さすがに直に寝るのは無理ですし。道を引き返したりして探しましたが、けっきょく発見できませんでした。

てことで本日の宿泊は100%健康ランドです。宮古にマースという健康ランドがあるので泊ろうとして行ったのですが、着いたらまだ日没まで時間があったので、さらに先へ行くことに。昼から八戸を出て宮古まで走ったら、ちょうど日が暮れるだろうと思っていたのですけど、予定よりだいぶ早く宮古についてしまったのです。

なぜか。地図のせいでした。

使っていたツーリングマップルの縮尺は14万分の1なのですが、北海道版だけは20万分の1と小さかったのです(北海道がそれだけ大きいということです)。 例えばMAPの2ページ分を走るとすると、北海道版と東北版では縮尺が違いますから、実際の距離も違います。必然かかる時間も変わってくるのです。

しばらく北海道版の縮尺に慣れていたので、「今日は宮古で一泊だべ」と思っていたのですが、走ってみると短かったのです。宮古の次の大きい街は気仙沼です。気仙沼には健康ランドがあることがわかっています。だから気仙沼まで走ることになったのです。

途中、山田町のローソンで休憩。時刻は17:30。



なんも食ってなかったのでめちゃくちゃ食ってます。



そのあと給油。レギュラー1リッター187円。この旅での最高単価を更新しました。

釜石、大船渡、陸前高田という、当時はまったく存在を知らなかった小さい街を過ぎて、やって来た気仙沼です。気仙沼は車田正美の漫画で名前だけ知っていたので、そこそこ大きい街だと思っていました。

んで、着いたらまあ、村では無かったですが、そんなに大きな町でもなかったですね。 ちょうど花火大会をやっていました。花火の写メを撮ってEさんに送りました。川があって、堤防沿いで花火を見たことを覚えています。高い建物が無くて、真っ暗で、人が少なくてのんびりした雰囲気でした。線路があって、入り組んだ道で踏切を渡ったりしたのも覚えています。震災ってこれのたった3年後なんだよね。ストビュー見たら今でも何もない更地の状態だったりして、 あの時見た景色が本当にすっぽり無くなった現実が信じられないですね。


↓苫小牧でフェリーに乗る前に立てたスケジュールはこうなっていました。

八戸~久慈~宮古
岩手~気仙沼~伊達
福島~仙台~会津
会津~千葉
千葉~焼津
長野~浜松
浜松~大阪

なんで大阪まで戻ることになってるのかと言いますと、大阪の花火大会に行きたかったからみたいですよ。いけるかどうかわからないけれど、意気込み的には「行く」ということにしていたのです。 開催日までに大阪まで走れるだろうか、いやでも、そんな一般人の娯楽を求めてたらあかんやろ、これは裏風俗の旅なんだ、と葛藤したとかしなかったとか。

気仙沼は風俗店があるような雰囲気は無かったです。山手の方にちょんの間があったようで、当時も存在はなんとなく知っていましたが、実際に調べたりはしていないです。捜査に足るものでは無いと考えていたんだと思います。

ということで、花火を見てから健康ランド「湯みえーる」へ。普通の家みたいなところでした。今はもう無くなってます。1泊2200円だったとノートに記録があります。

いろいろな健康ランドを利用していますが、こんなに一般家庭っぽい箱は始めてでした。旅をしてる時の私はどんな状況でも寝られる人なんですが、それでも「ここで寝るのか…」って思いましたよ。地元のおっさんにまじって畳の上で寝ました。




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