49. 嗚呼、青函連絡船


『青函連絡船。これほど哀愁を誘う言葉があるだろうか。』

これはXファイルの冒頭に使ったものですが、元ネタは八甲田丸のパネルの1行目に書かれていたものです。あまりに秀逸だったのでそのまま真似しました。

いや、ぐうの音も出ない心を抉る一文ですね。書いた人はさすがにエロ本ライターとは違いますね。3流エロ雑誌なら「嗚呼(ルビ=アアッ)! 性感連絡船」ていうタイトルになってると思いますよ。本文ですか? それはもう『出てきたのは壇蜜似の東北美人の女の子。ベロチューしながらベッドに押し倒し、さっそくトンネルを掘り進めると湧き水がドンドン溢れてきた。記者の連絡船を欲しそうに見てくるので救命胴衣を着用してからドッキング作業完了。顔に似合わず「いぐ~~~!」と津軽海峡仕込みの激しい感じ方をしてくるもんだから、こちらも我慢できずに発射オーライ。』ですよ。


えー。今日はですね…。退役した青函連絡船を見て回るお話をします。函館セキセンで一発して、青森へ渡る前と、渡ってダイサンで発射した後の部分です。

函館と青森の間は津軽海峡という海があるのですが、私が子供の頃に海底トンネルが開通しました。鉄をたくさん使う必要があるから青函トンネルと瀬戸大橋を造ったんだと小学校の先生が言っていました。直接的には間違っていますが、日本国の政策というマクロ的な意味では間違ってはいないと思います。京都の公立学校の教員の割には賢い先生でした。羽柴秀吉っていう田舎のダンプ運転手が今太閤に成れたのも日本が成長していた時代の恩恵ですからね。

海底トンネル工事のときに湧き水がすごかったらしく、その湧いた水を缶に詰めたやつを貰って飲んだこともありました。水とは思えない味の濃い水でした。あの水をもう一度飲みたいと思って、さっきネットで調べてみたのですが、まったく出て来ませんでした。

そんな青函トンネルですが、このトンネル電車しか通れません。車で通れると思っている人が意外と多いようです。Aさんも「え?通れへんの?」って言いやがって驚きました。AさんはK大学出身で私よりだいぶ賢いはずなんですけどね。

トンネルが無かった時代は、船に電車ごと積み込んで津軽海峡を渡っていたのです。その電車を積み込むための海へと続く線路と積み込み船が残っており、観光施設になっているのです。

さっそく船を見に行くとみせかけて、函館朝市へ行って食事をします。ウニとイクラの丼にして欲しいと言ったら作ってくれました。1,900円。



うまいっ。

話の流れが無茶苦茶ですけど、写真フォルダから出てきた映える写真を載せたかっただけです。


で、船を見に行きます。



摩周丸。



触れます(触りました)。



覗けます(覗きました)。



あれが函館山か。



本物。



線路は撤去したのかな。



一通り楽しんだ後、函館駅から16:51の白鳥に乗車。青森へ向かいます。晴れていたらフェリーで行こうと思っていましたが雨なので電車にしました。残念です。



日付変わった青森側です。 午前9時30分に起きました。3,000円の格安ホテルを出ると、晴れております。散歩をして、それから早めのお昼ごはんに青森の市場で丼をしばきました。焼き魚にするか海鮮にするか迷って一番高い海鮮丼ぶりにしました。2,500円。うまいっ。Aさんに写メを送って自慢します。 皆さんにも写真をお見せしたいのですがケータイでしか撮ってなかったみたいです。すごく豪華な丼だったんだけどなー。ウニイクラ丼の5倍くらい映えるやつだったのになー。

青森の市場と言えば「のっけ丼」(自分で作る海鮮丼)っていうのが有名ですが、このときはまだそんなハイカラなやつはありませんでした。市場の端にあったカウンタだけの店で女将さんが作ってくれました。



青森ベイブリッジです。



橋の上に来ました。



あれを見に行きます。函館側には「摩周丸」がありましたが、こちらは八甲田丸です。摩周は北海道の湖、八甲田は青森の山の名前です。



こちらの船の方が展示が充実しています。



青函連絡船の展示をじっくり読みます。やはりこういう規模の大きい仕事をしたいですな。自分の裁量で人やカネを動かすのはおもしろいですな。(←ノートに書かれていたことです)。



触れます(触りました)。



覗けます(覗きました)。



甲板下にも入れます。汽車が停まっています。



懐い汽車が沢山停まっています。



DD16。



うわー。



エンジンルームも見られます。



この線路で汽車を載せるんだね。



青森名物10のうち3つが写っています。


最果てに 旅のブルース溢れれど 都会の喧騒いと恋し

(注:ノートに書いてあったままです。あまりにブルースがあったために詠んだみたいです)

解説:じゅうぶんに旅の目的を果たし終え、夜行列車に乗って帰る旅人(おそらく京都からやって来たと推測されます)の、名残惜しいながらもやっと上方へ帰れるという心が巧みに表現されています。「場末」などといった俗っぽい表現を避け「ブルース」という外来語を用いているところからも、詠み手の力量が伺えます。



続きは次の土曜日くらいに。

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