前回は苫小牧港から深夜のフェリーに乗るところまでをお伝えしました。楽しかった北海道を後にして、また本州に戻るのです。 青森上陸のまえに、時計の針を巻き戻して、ちょっと東日本編を振り返ってみましょう。


30. 東日本/新潟に向かう夜行列車


今日から7月になっていました。私は大阪駅のみどりの窓口で「新潟まで行く夜行電車の切符が欲しいんです」と申しました。カウンター向こうの駅員氏は、「ええと、自由席とグリーン席と寝台があります。それから寝台はAとBがあります」と、えらく細かく座席の説明をしてくれました。私が「B寝台で」と答えますと、こんどは「場所の希望はあるか」と聞いてきます。「パン下」と呼ばれるパンタグラフ下が人気がありますので、そこにするかという意味だったのでしょう。鉄道マニアと思われたのかもしれません。「どこでもいい」といいますと、下段のベッドになりました。




現在時刻は22時。発車時刻は23時27分。駅のコンビニでビールと食料を調達して備えます。

西日本のちょんの間の旅が終わり、私はそのまま東日本も電車で旅しようと思ったのです。西日本編の最後にそんなことを書いていたと思います。忘れた人は読み返してください。



いちど寝台列車に乗ってみたかったので、こいつに乗ることになりました。寝台列車といいますか、寝台車も付いている急行電車というのが正しいところでしょうか。寝台を取らなくても、朝まで硬い座席で我慢することが出来るのであれば、乗車券の9,030円と急行券の1,260円だけで新潟まで行くことができるという、一風変わった電車です。



車体側面にはKitaguni Expressと書かれ、夜行列車らしくまわりに星が散っています。白い車体にグレーの帯があり、下の方は青とゴールドの帯。先頭車には「きたぐに」とかかれたプレートが掲げられています。名前がブルースなのでこれに乗ることにしたんですよ。





これが寝台じゃない固い座席ですね。

いよいよ乗車。終点の新潟駅に着くのは翌朝、およそ9時間の旅です。

車内。B寝台は通路の左右に緞帳のような厚いカーテンが垂れ下がっています。それをあけると3段式の軍隊ベッドみたいなのが現れます。第一印象は「狭い。。。」



枕とハンガー、JRのロゴの入った浴衣が置かれています。灰皿があるのに「寝台では禁煙」と書かれたプレートが付いています。造りをよく見るとなるほど、特急列車の座席を外してベッドを据え付けただけだとわかりました。



寝床のチェックをしているうちに列車は動き始めていました。この電車は湖東回りです。関西から北陸に抜けるには湖西、つまり琵琶湖の西岸を走るのですが、この電車は反対側の東岸を走るのです。西岸より東岸のほうが10倍くらい栄えているので、時間を気にしないなら遠回りして乗客を拾って行こうというJR西日本の戦略なんでしょう。

大阪駅を出ると5分かそこらで新大阪駅に停車します。その次は京都に停まりますが、京都までは30分くらいかかります。そのあいだに車内を探検します。私を含め、ほとんどすべての乗客が大津駅(滋賀県の琵琶湖の南端にある駅)くらいまでは「寝台列車」に興奮して車内探検をしますが、やがてみんな落ち着いてきます。彦根、米原を過ぎると、時計はもう深夜1時を回り、このへんから車内は「もう寝るすけ」という空気になって、ぐんと静かになります。とりあえず私も寝ることにしました。



電車の中で真っ直ぐ横になって寝るというのは、なかなかに面白いものがあります。振動が伝わってきますが、通勤電車のような不快なものでは無く、意外と具合がいいです。どうやら新幹線のように車両の気密性が高くて騒音が少ないんだと解りました。

横になるとすぐに眠りに落ちまして、次に目が覚めたときには朝になっていました。電車は相変わらず走っています。いまどの辺りだろうと窓側のカーテンを開けてみました。私はその瞬間、うっかり朝日を浴びた地縛霊のように「うわー!」と心の声を上げました。カーテンの先には大きな窓があり、その窓から朝日がいっぱいに差し込んできたのです。

田んぼの向こうの朝日にしばらく呆然となり、写真を撮ることも忘れていました。朝からなんていいものを見たんだろう。私は、東京行ではなく新潟行き電車にしてよかったと心の底から思いました。

やがて素晴らしい車窓の光景が去って行くと、なにやら慌ただしい雰囲気になってきました。列車が駅で停まると、通勤のリーマンや通学の学生がどやどや乗り込んできます。私の車両は寝台車なのですが、その前方に接続された普通車、そこだけは通勤電車みたいな感じになっているのです。寝台列車と通勤列車が一緒くたになって1つの電車になっているさまに、私は奴隷と貴族の話を思い出していました。貴族の自分が優越感を感じているのかといえば決してそうでもなく、自分はこんな生活でいいのだろうかという思いも少しはありました。この思いは旅の間でだんだんと大きくなってきている気もしましたが、なるべく考えないようにしていました。

列車は途中駅で慌ただしい客の乗降を繰り返し、さいごに新潟駅のホームで完全停車しました。午前8時30分でした。


続きは次の土曜日に。


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