プサンちょんの間紀行B ワノルドンでちょんの間に潜入せよ


2011年1月×日、長官より緊急指令が下りた

指令:ワノルドンでちょんの間に潜入せよ

早速、捜査官が海沿いへ向かった。
なお、以下のファイルはすべてノンフィクションであることに留意されたい


チャガルマダン捜査後(ファイルナンバー197参照)、フラフラになりながら釜山駅へ戻ってきた。時刻は22時。そのまま地下鉄でチャガルチへ行く。もう地図を見る気力もない、韓国へ来てから殆ど寝ていない上に、先ほどの妖怪ババアとの対決。寒い。足が痛い。チンコがむずがゆい。



なんとなく市場周辺を見回って、ワノルドンは発見できずにホテルへ戻った。翌日、明るいうちに調べてみよう。

 

朝が来た

朝日が昇ると同時にホテルで目が覚めた。妖怪と戦った後、最大の目的地であったワノルドンを発見できずに撤収。ショックだ。疲れが取れない。そして外は寒い。だが、ワノルドンは諦められない。たとえ壊滅していたとしても壊滅した状況をこの目で見ないと納得できない。世界風俗遺産(アジアンキングによる)に認定された場所なんだから。もう一度探しに行くことにした。今日のスケジュールを考えながらホテルの不味い朝食を3人前お代わりした。

外へ出ると超寒い!さて、どうしようか。さすがに午前中では時間が早すぎるだろう。まずは釜山博物館へ行ってみることにした。

私が裏風俗でチンコを挿入するのに拘るのは、自分の目で見て、耳で聞いて、触って、舐めて、チンコを入れないと事実は解らないと思うからだ。雑誌やテレビで紹介されているそれは事実と異なっていたり、偏った情報だったりすることがよくある。何が事実なのか。それを自分で確認したいのだ。

 釜山博物館

歴史も同じで、何が事実なのか。何が事実だったのか。私はそれを知りたい。

「日本は第2次世界大戦でアジア諸国を侵略して多大な迷惑をかけた。謝罪と賠償はまだ十分できていないから、今後も継続して行っていかねばならない」というのは事実だと思っていたし、学校でもそう習った。だが、「それは事実とは異なるのではないか?」と思い始めたのが数年前だ。私は事実を知りたいのだ。そのためにはアジア諸国という現場へ行かないといけない。

受付で「フリー オブ チャージ」と言われ、中に入る。

 弥生式な土器

時代を追ってショーケースを眺めていると、「日本の方ですか?」と喋りかけられた。振り向くと頭の禿げかかった初老のおっさんが立っている。私が日本人だとわかると、博物館職員のおっさんは一生懸命話を始めた。「あなたは知っていますか?韓国は36年間日本の植民地になっていたことを」

そのおっさんは韓国の名前と日本の名前を2つ持っていた。日本統治時代に日本語の名前を強制されたのだ。小学校の2年まで日本式で教育を受けたと言っていた。バイリンガルになれてよかったじゃんと思ったが、そういう問題ではないようだ。



おっさんはガラスケースの前で1つづつ説明をしてくれた。釜山は栄えていた。釜山港から東菜(トンネ)まで電車が走っていた。そして釜山からソウルを経由して満洲までは汽車が走っていた。釜山の港の橋は開閉型だった。最先端の映画なんかは釜山からソウルへそして満洲へと運ばれて行ったんです。釜山は最先端の街だったんですよ。なんせ東京から線路と海路で繋がってたんですから。

模型や展示物を指さしながら説明がすすむ。

それらを作ったのは日本人なのだが、なぜかその最先端と日本人は切り離して考えられるようだ。その部分を聞くと、「これらの持主は全て日本人だった」と要領を得ない返事をされた。先ほどまで最先端のインフラがあったという事実を自慢していたのに、それを作ったのは日本人だという事実は、彼らにはあんまり都合のよいものではないようだ。

 大戦中に日本がつくったポスター

 朝鮮戦争中に韓国がつくったポスター

日本の軍国主義の象徴だと大戦中のポスターを見せられたが、朝鮮戦争時代に韓国で作られたポスターも大差ないように思える。たぶん、どちらも国を守ろうとする想いで作られたんだろうから一緒だと思いますけどね。

そのあと、博物館の他の職員と一緒にお茶を飲んでお菓子を食べて、10分ほど一緒に日本語の翻訳を手伝ってあげて、最後は自宅の電話番号入りの名刺まで渡され、握手をして別れることになった。

この和やかな雰囲気の中、私は彼に非常に嫌な質問をしてやった。

「日本は好きですか?」

だが、彼は即答した。

「好きでもない。嫌いでもない」

そんな質問はナンセンスだと彼の顔は言ってた。私は何も言わず、博物館を後にした。



さあ、ワノルドンへ行こう。

チャガルチ駅まで戻り、探索を始める。確か坂になっているという情報で、大型のガラス張りの店舗が20はあり、日本語が達者なポン引きババアが沢山いるとの情報も持っている。夕方に行けば周りも明るいしわかるだろう。

と、安易に考えていたのだが、ないのだ。ない。おかしい。このあたりのはずなんだが。

何度も道を行ったりきたりする。だが、それらしい場所は無い。一体どういうことだ。既に再開発されてしまったのだろうか・・。

 このとこかにあるはずなのだが・・



ワノルドンは壊滅したのだろうか。確かにアジアンキングでは壊滅と書かれていたが・・。跡地すらないのか??最新情報を知っている人、教えてください・・。



さて、旅程の都合もあり、今回の釜山紀行はこれで終了することになった。まあ、こんなもんでしょう。帰ろう。wが余ったが、これは次回の訪問時に使うとしよう。








捜査報告書:もうお家に帰りたいの。



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