藤沢でちょんのまに潜入せよ
2018年10月×日、長官より緊急指令が下りた
指令:藤沢でちょんのまに潜入せよ
早速、捜査官が神奈川へ向かった。
なお、以下のファイルは全てノンフィクションであることに留意されたい
プロローグ1 藤沢の赤線跡
神奈川県の横浜から20キロほど西に離れたところに、藤沢という街がある。
ここに女を売る商売が生まれたのは、藤沢宿が置かれた江戸時代初期のことと言われている。いわゆる宿場町の飯盛女である。
藤沢宿は東海道53の江戸方から6番目の宿だ。
交通の要衝であったため、東海道が整備されるよりも前、戦国時代の始まりには北条氏によって既に伝馬が置かれていた。
関ケ原が終わって太平の時代が来ると、徳川幕府により全国的な交通制度である近世の宿駅伝馬制度が始まり、
あらためて街道の拠点・藤沢宿として整備されたというわけだ。慶長6年のことである。
このときに整備された旧街道を現在の地図と重ねると、江戸方から来た場合、現在の国道1号から県道30号へ入り国道467号をトレースして、また国道1号へ戻るようなルートになる。
藤沢宿があったのは遊行寺から江ノ電の線路くらいまでの範囲だ。国道437号の、今はラーメン屋がある前あたりに蒔田の本陣があった。
現在は本陣を思わせるものは何もないが、それを知らしめる標柱が立っている。
藤沢市役所の案内にはこうある。
『江戸時代の藤沢宿は、天保14年(1843年)の「東海道宿村大概帳」に、宿内人口4,089人(男2,046人、女2,043人)で、
総家数919軒、旅籠(はたご)45軒、大名や公用の旅客の宿泊施設である本陣が1軒、脇本陣が1軒と記されています(享和3年(1803年)の記録では脇本陣は2軒)。
同書から神奈川県内各宿場の人口・家数・旅籠数を見ると次のとおりで、
当時の藤沢宿は、人口では城下町であった小田原宿、大きな湊でもあった神奈川宿に次いで多かったものの旅籠数は比較的少なかったことが判ります。』
本陣というのは、公家や大名が泊まる高級ホテルみたいなところで、一般庶民は旅籠に泊まる。あるいはさらにグレードの劣る素泊まりの木賃宿にとまる。
宿場では、次の宿へ手紙や荷物を運ぶために人や馬を用意しないといけない。参勤交代があるから大名行列も必ず来る。だから問屋場がある。
人が集まると物が集まる、仕事が出来る、金が回る、町が栄える。藤沢宿が栄えていたことは想像に難くない。男と女のドラマも幾多あったことだろう。
そして時は下り明治時代。飯盛女は公娼に格上げされた。明治13年のことである。箔が付いて格上げなのか、あるいは札が付いて格下げなのか。捉え方は人それぞれだが、
当時の日本国では売春は国が公に認めた商売であった。
やがて東海道本線が開業し、東海道の人と物の移動が街道から鉄路に変移していった。
運よく汽車の通り道となったこの街には藤沢駅が出来た。駅周辺には当初何もなかったようだが、駅の北側に遊廓が作られた。
街道沿いにまだ存在した飯盛女のDNAを引き継ぐ売春稼業のものたちをそのまま移転させたのだという。明治35年のことである。
これを、悪所を人の居ないところに移転させたと捉えるのか、駅前開発のフラッグシップとして性風俗施設を置いたと捉えるのかは、
これまた人それぞれであるが、駅周辺は栄えていくことになる。
そして、日本は先の大戦争に負けた。GHQによる命令の下、敗戦国であった我が国は表向きは公娼を廃止し、
その一方では戦勝国向けの特別売春施設を作り上げた。昭和20年のことだ。作り上げたというか、発想としては軍隊と慰安所の続きだったのだろう。
そこから先は、官製ではない雨後のタケノコのように出てくる闇のものは手に負えなかったし、そもそも負う必要もなかったというのが正解かもしれないが、
まあ、これが乱暴に言うところの赤線青線地帯であろう。藤沢駅北側も、特殊地帯であることを軸とした街になった。
戦後のどさくさ。今の世代には解りようのないことだが、
人々の体感値としてはミレニアム時代の若者の心にあった「何でもあり」「やったもん勝ち」が近いのかもしれない。
本来の監督者が匙を投げた闇市どさくさを取り締まってきたのは893屋さんである。
ここは古看板の博徒、堀井一家のシマ。奥まった所には今も組事務所がある。
それから10年足らずで我が国は売春防止法という飯盛女の再来のような法律を成立させた。昭和33年のことだ。
各地の特殊地帯は売春業を辞めるしかなくなった訳だが、そこはそれ、売春ではない形で特殊稼業を続けるものもあった。
藤沢駅北口一帯は、そこはそれを選び、歓楽的な側面の強い飲食店街へと進化した。
中心部分にあった飲み屋の集合体は「小鳥の街」という愛称だった。地図を見ると、
文鳥・スワン・青い鳥・すずめ・みみづく・ぽっぽ・こまどり・千鳳・おしどり・孔雀・扇雀・ネスト・かしわ……と鳥にまつわる名前の店が連なっている。
小鳥の街のすぐ横には藤沢トルコとトルコフジという特殊浴場があった。昭和40年代のことだ。
それから20年で昭和は平成になり、売買春界ではトルコはソープランドになり、ニュー風俗と言われたファッションヘルスやイメージクラブが登場して隆盛を極める。
藤沢の街は、さらなる発展に伴い駅の南側も開発され、駅を挟む形で性風俗施設が沢山造られていった。
そして。平成は31年で幕を閉じて新元号になるらしい。赤線のDNAを保有するちょんのまは全国的に絶滅し、ピンサロやソープランドは駆逐され、
新勢力であったファッションヘルスも今や過去のものになった。繁華街を取り締まる893屋さんもまたその存在価値をなくした。新しい時代が押し寄せてきているのである。
藤沢駅北口のトルコ風呂は無くなり、小鳥の街はマンションになり、旅館もピンサロも消えて無くなった。
藤沢の北口一帯は、
とっくの昔に売春街としての存続に見切りをつけてしまったようで、風俗を特集したメディアからはその姿を完全に消してしまった。
赤線跡を愛でる酔狂な街歩き趣味の人たちのあいだでのみ、その存在を知られるだけになったのである。
プロローグ2 ある青年の話
1通のメールに目が留まった。ノートPCの液晶画面に映し出された文面には、「酒でも奢らせてください」というタイトルが付いている。平成21年のことである。
開封してみると、酒のんで話でもしませんかといった内容とともに、潜入した裏風俗地帯が書かれている。リフレッシャーからのメールだ。
私はこれに対して気のない返事をしたのだが、数日後にはまたメールが送られてきた。
「串カツでも食べましょうよ!」というグイグイくる勧誘に、
「どうしてもというなら……」という、やる気のない女みたいな返事を送って、数日後に会うことになった。
地下鉄の動物園前の駅で待ち合わせして、まあ50%くらいの確率でホモかなと思っていたが、時間丁度にやってきたのは普通っぽい若い男だった。
動物園前商店街の串カツ屋に入り、適当に話をして、
やれ東田遊郭跡はどうだとか、木村聡の赤線跡を歩くはどうだとか、そんな話をしている最中、藤沢の話題になった。
串屋のカウンターで私の隣に座って串を食っているこの男は、かつて藤沢に住んでいたらしく、それなりに藤沢の街について詳しいようだった。
そして、彼は一呼吸おいて、遠慮がちにこう言ったのだ。
「まだ、ありますよ」
説明するまでもないが、「あります」の主語は、非合法なセックスのことである。
「いや、もうやってないだろう。さすがに」
鼻で笑った私に対して、
「いや、まだありますよ」
こんどは自慢気に言うのである。
まるで、関東ローム層の赤土の中から旧石器が出てくる、みたいな話じゃないか。
そんなことは絶対にない。あれば裏風俗の教科書が書き換えられる。私は日本のちょんの間は全て把握しているし、チンコを駆使してその内容も確認している。
藤沢にはちょんの間など存在しない。とっくに絶滅している。
これは裏風俗界の定説なのだ。そして私は自他ともに認める学会のプロフェッサーなのだ。この真面目な坊やは勘違いをしているのだ。
私は何も答えなかったが、彼もそれ以上は笑うだけで何も言わず、串を食い終わったので店を出た。
商店街を歩きながら、これから飛田へ行くのかと思えばそうでもなく、その場はなんとなく流れで解散となった。
写真が趣味とかいっていたので、「喫茶店で君の撮った写真を見たいな」とでもいえばよかったのだが、
また運が良ければ今度の機会があるだろうと何時ものように思っていたのだ。
だが、それ以来彼と会うことはなかった。
私は彼から藤沢にまだ売春があると聞いたが、調べなかった。
確認の捜査をすることなく、藤沢は壊滅していると決めつけてしまったのだ。
これは大変な間違いであった。
藤沢の捜査
藤沢に、今でも「ちょんの間」があるらしい。そんな情報がもたらされたのは、平成30年11月のことである。
ピンサロではなく、小鳥の街跡の赤線風味の特殊な飲食店でプレイするのだという。
もう平成も終わる時代に昭和の特殊飲食店が残っている――。にわかには信じがたい話だ。しかし、これは信用できる筋からの情報なのである。
私の脳みそでは、8年前に会った青年の言葉が蘇っていた。「まだ、ありますよ」。彼は確かにそう言っていた。この耳で聞いた。
豊橋、土橋、若松、安浦、……もう壊滅したと思っていたちょんの間は、確かにまだ生きていた。それを何よりも知っているのは自分だろう? 自問して笑えて来た。
それにここは神奈川だ。堀之内は何度摘発されても復活するし、黄金町や田んぼは立ちんぼゾーンとして生きているではないか。
安浦だって壊滅したというのが定説だった。
2回目の捜査でプレイを成功させて大通りの信号を渡るとき、背中の安浦の街から「どうだ、見たか」と言われたじゃないか(言われてないけど聞こえたのだ)。
じゃあ、行ってみようじゃないか。チンコを駆使して確認だ。それが生きがいなんだから。
秋晴れの土曜日。目が覚めたら16時だった。今からいこう。
なんとなく思い立って新大阪から新幹線に乗り、新横浜で下車。在来線を乗り継いで藤沢を目指す。
藤沢駅のホームに降りたのが20時30分、抜群の時間配分だ。21時には現場に到着できるだろう。今日のスペルマの貯まり具合は中1日だ。
藤沢駅には高架線路を挟んで北口と南口がある。
現在も風俗店があるのは南口で、赤線跡があるのは北口だ。
あまり詳しく書くのもどうかと思うので、今日の目的地はいずれかの方向ということにしておく。
まあ、駅からはさほど離れていないところにプレイスポットがあるということだ。
(べつにクレームを気にしているわけではない。
はっきりここだと映像や地図を示してしまうと君らの想像が入り込む余地が減ってしまうので読み物として面白くないだろう、という事だ)
暫く歩いて大通りから脇に外れ、頭の中であらかじめ見当をつけておいた付近に来ると、財布から1万円を抜いてポケットへ入れる。
値段はいくらか知らないのだが、予想価格は1万円だ。ちょんのまだからな。
本当にあるのだろうか。情報源からして100%あるはずなのだが、この目で見て、チンコを入れるまでは、どうしても信じられないのだ。
目的地が近づくほどに、心臓の鼓動が早くなる。もどかしいこの感覚。
静かな細い路地を進み、おそらく次の角を曲がった辺りにポン引き爺か婆がいるはずだ――と、これも予想する。
逸る心を抑え、角を曲がる。
はたして人の姿はなかった。
高まっていた心拍数が一気に落ちて、ついで束の間の安堵感がやってきて、やがて失望感で体が覆われていく。
ないか……。
ひとり嘆息した次の瞬間、横に男がいることに気付いた。建物の隅に立っている。あ、ビンゴじゃん。すぐにこちらからアプローチすることにした。
「遊べますか?」
「ええどうぞ」
各地の売春街で幾度となく繰り返してきたいつも通りの問答だ。答えは解っている。今日で何回目だろう。
「どこまでですか?」
「……いや、きっちりサービスしますよ」
「いくら?」
「10000円です。すぐ行けます」
「本番できないのか?」
「いやまあ、それは女の子と交渉してください。交渉で」
「10000円でできるのか?」
「どうして来られましたか」
「人に聞いて」
「もうちょっとかかりますね。通常2万円ですが、15で」
「それでできるのか?」
「女の子と交渉してください」
男はこちらを警戒しているようだ。
見れば建物は普通のスナック。中で一発出来るようだ。ふうん、特殊な飲食店か。
どうしようか。私的には正統派(?)の裏風俗地帯は、プレイにブルースを感じたい部分が少なからずある。
マン汁とスペルマの他に、この土地から醸成されるエキスが欲しいのだ。ブルースという黒く汚れたエキスが。
しばらく商談をしたが、やめることにした。問題なくセックスできると思うが、
面構え的に遊びたくなかったというのが大きい。ブルースが無い。ブルースが。
ここは藤沢なんだぜ? こんな小ぎれいなスナック物件でプレイしても面白くない。
焼き鳥屋のタレ壺みたいに戦後からのエキスが濃縮してる所でないと。
ということで、もう少し先を調べることにした。
このブロックは他にも店があるが、買えるのはここだけのようなので次のブロックへ移動するのだ。
しばらく歩くと、道を挟んだ向こうにスナックが固まってるような一画がある。
そのうちの1軒の飲み屋と思われる店から丁度おっさんが出てきたので、どの店もボロボロながら営業はしているようだ。そいつが去るのを待ってから
道の傍で不審に立っている男のそばへ行ってみた。隣には手押し車に座った老女(推定80歳)がいる。異様な光景であるが、
これは遊びの斡旋者で間違いないという自信があった。なのでこちらから話しかけてみた。
「遊べますか」
「ええ、どうぞ」
本日2回目の答え合わせに、巨人師匠に似たその男は気さくに応じてくれた。
ポン引きというか、店の人間のようだ。2、3のやり取りをして、
すぐそこのボロい店が遊びを提供するところだと判明した。
しかし、こちらの念押しの「どこまで?」という問いに対しては、言葉を濁される。
「私の口からはねえ、どうしてもねえ、言えないんですよ。私ら、本番できるとは言えないんで」
じゃあ、美味い酒と料理なら出せるとでも言うのか。そう言われて困るのはお前だろう。女以外に売るものなんてないくせに。
さっきの男といい、ずいぶんと歯切れが悪い。
「1万でいいのか?」
「23の子はダメです。10000では。プライドが彼女にはあるみたいで。〇〇ちゃんっていうんですけどね、23の若い子ですよ。
もう一人は〇〇ちゃんっていって年はいってますけど、1万でいけますよ」
23歳。マジか。ぜひ買ってみたい。
予想外の年齢だが、どうしてそんな若い女が売られているのだろう。
「その子はいくらなら買える?」(なんて失礼な質問だろう)
「その子は延長して貰わないとダメです」
「ふーん、むこうの店は15000円って言ってたよ。もっと払ったら本番できるのか?」
「いやあ、それは勘弁してくださいよ。私ら言えないんで」
「まあいいや、他に店はあるのか?」
「南口は行かれましたか?」
駅の南口には沢山のピンサロがある。私は南口も全体像を把握しているが、ここの10倍は栄えているだろう。
「ああ、南口ね。ピンサロは沢山あるね。北口も10年前に比べたらだいぶ変わったね。昔は北口もたくさんあったのにな。ほらあそこにもあったろ?」
私は、23の女が可愛いのか、サービスがいいのかを聞き出そうとして、
心をもっと開いてくれるようなトークを振ってみた。
「いや〜、10年前ですか、変わりましたよ。〇〇〇〇? 経営者の方が亡くなられてね、南口はダメでしょう? 北口だけはね……」
長々と話をした。昔のことから今に至るまで。
北口のこと、南口のこと、有名だったピンサロの話、店の経営が引き継げなかったこと、果ては出身地のことまで、いろいろ。
メガネの奥の目を瞬いて思い出を話し続ける巨人師匠。隣で手押し車に座る婆さんをチラチラ見ながらそれに頷いて見せる私。
やがて話の勢いが衰え、「昔はマンションなんかなかった。昔はね。そう昔はねえ、それこそもうね……」といって、師匠は口をつぐんだ。
昔は北口こそが藤沢のネオン街でもっとそこらじゅうで売春ができていい時代だったと続けたかったんだろうが、それで喜ぶ人はもういないのだ。
駅近くの1等地、時代遅れの風俗店潰してマンションにした方がみんな喜ぶし街の価値も上がる。
「入ってくださいよ」
沈黙していた師匠がこちらを見て言った。
そうだな、じゃあ入ろうか。年寄りの方で。
ここで23の女を買って何になる。そんなものは横浜のヘルスでなんぼでも買えるじゃないか(赤線跡の悪い魔法にかかっているみたいです)。
話の間に23の女に興味が無くなってしまい、謎の使命感で年寄りの方を希望することにした。
念のために「50くらいか?」と聞いてみたが、「そうですね、熟、熟です」といって笑われたので恐らくそれ以上なんだろう。
まさかこの手押し車に乗ってるババアが来るわけじゃないよな。5%くらいでありえそうだけど。
さきほどから無言で手押し車に乗っているババアをまたチラっと見る。さっきから1ミリも動いてない。生きてるのか?
そんな私の目線を見てかどうかは知らないが、やっぱり君の年齢なら23歳の子にしたほうがいいんじゃないかという感じで遠回しに言われる。
が、どう考えてもこの状況では年寄りの方を買うのが筋だろう。ここは天下の赤線・藤沢。そしてオレはリフレッシャー(赤線跡の悪い魔法にかかっています)。
「いや、年とってる方で」
「じゃ、どうぞ。掘っ立て小屋ですが」
こうして小鳥の街の特殊な飲食店の扉が開かれ、私はババアと非合法なセックスをすることになったのである。
入った中は意外と明るく、全体が見渡せた。スナックでもピンサロでも居酒屋でもない造り。
何かに似てる……そうか、モンゴル遊牧民のゲルだ。あるいは竪穴式住居か。
室内に衝立や壁は一切なく、ソファとちゃぶ台のような小さなテーブルが置かれ、その横に布団が置かれている。
それが都合3組あるようだ。通路がないというか、足の踏み場がない。
周囲の壁には幼稚園みたいな謎の飾り付けが施されている。BGMはJポップ。なかなかのプレイ環境だ。
ポケットから1万円を出して「これでいいか?」と、かっこつけて渡しておいた。
渡した10000円が奥へと運ばれると同時に明かりが落とされて、建物内は真っ暗になる。暗視対策をしていないのでまったく何も見えなくなった。
手探りでなんとなくソファの形を見つけて座る。教祖が座る座布団みたいな足のないタイプのソファだ。
30秒ほどで女が登場した。暗くて顔は判別できない。スタイルは太ってはいない様子。声はババアのアニメ声みたいな感じ(わかりにくくてすいません)。
何にするかと言われたので、とりあえずウーロンをオーダーする。
ひととおり、どこから来たのか、これからどこいくの、という風俗店や飲み屋にありがちな話をして、どうもだいぶお年寄りな感じであるということは解った。
そしてすぐに「はじめますか」と言われる。遥か2万光年くらい年の離れた男とは話が合うわけないのでさっさとプレイした方がいいと思ったに違いない。
暗闇の中で全脱ぎする。
脱ぎ終わるとソファに座った状態でおしぼりで拭かれるが、これが超軽めで1拭きだけ。すぐにフェラが始まる。
テクは中の上くらい。まあまあうまい。
たっぷりフェラの後に、寝てくださいと言われ、敷かれている布団のようなものに横になる。暗くてどうなっているのかは細部は不明。
仮にゴキブリやネズミが布団の下にいてセックスの途中で踏みつぶしても暗すぎて100%解らないだろう。
でもいいんだ。ここは藤沢の赤線なんだから。焼き鳥屋のタレ壺の中に何が沈んでいるか考えるのはナンセンスだ。
仰向けからフェラ、乳首舐め。気持ちいいよと言うと入れますかと言われる。
ハイと答えるもゴム付けられてる間に萎える。中1日の調整。ゴム付きでは厳しいようだ。
再フェラののち挿入しようとすると萎える。3度フェラしてもらって、乳首舐めてもらって半だちで挿入。
入るとスムーズに亀頭が動く。私は、女がフェラしながらこっそり右手でオナってるのをちゃんと見ていた。
ローションなしでスムーズに入るように自分で濡らしていたのだ。プロだな。じゃなきゃ、ただの変態老女だ。
ぬるぬるだったので半立ちでもすっとはいる。格納状態でしばらく静止。するとどうだ、これが凄く具合のいいマンコであることが判明。
女はいっさい体は動かずに膣の中だけをグニグニ動かしてくる。
じれったいながらも気持ちよさがこみあげてくる。なんて具合のいいまんこだ。そして自分のまんこの使い方をよく知っているな。
女はアニメ声でエロい喘ぎを控えめに発してくる。
じれったくこみあげてくる快感がどんどん増幅していく。我慢できずに女の腰を持ったら、肉がだるんだるんだった。
肉や肌の質感が老人なのだ。一瞬ぞっとしたが、今度はこの異常な状況に興奮度が高まる。わかるか? スライムみたいな生温かいブヨブヨが自分の上にあって、
股間部分がヌメヌメしているのだ。
真っ暗闇で馬乗りで挿入され、乳首を舐められ、おばあさん役のアニメ声で喘がれる。
やばい、オレ、変態ババアに犯されて感じている! いってしまう! いやだ! いきたくないのにいってしまうっ! ああああああ〜〜〜〜!(異星人の宇宙船に吸い込まれる人の断末魔)
後始末してもらって女が処理に行っている間に大急ぎで服を着る。悪い魔法が解けて正気になってきたようだ。いったい自分は何をしているんだろう。
女が帰って来ると、無駄話もなくすぐに終了となった。女は出口まで先導して送ってくれた。
扉が開くときに外の明かりで女の顔を見ることが出来るが、
私はあえて見ずに背中を向けて、ありがとうと言って外へでた。
見たらダメだろこれは。振り返ったらだめだ。一生忘れられなくなる。
真っ直ぐ前だけを見て店を後にした。
ふうー、しかしどうだ。いや、自分がおかしいだけなのか。どうしてあんなに興奮したのだろう。
発射するとき異様に気持ちよかった。ゴム付き中1日なのに。
神妙な顔つきで店の外に佇んでいると、巨人師匠が同じような顔で寄ってきて遠慮がちに話してきた。
「どうでしたか、次は若い子で入ってくださいよ」
すごいババアだったから怒られると思ったに違いない。私が思わず正直に「なかなか良かったですよ」と言うと、師匠は顔をほころばせた。
そして、「次はぜひ夜中に来てください。もっと凄いですよ。雰囲気が」と嬉しそうに勧めてきた。こいつは重度の病気だということが判ったようだ。
この店は営業は20時〜深夜3時くらいまで。夜中に来るとさらに独特のブルースがあるらしい。
女は他にも何人か居ると言っていた。
久しぶりに、売春街の燃えカスが今でもこんなところで炭火のようになって生きているのを見つけた。
今ではネオン街以外ではとっくに消えてなくなった、鉄をも溶かすような、あの赤い熱い人生を狂わせる、男と女のギリギリのドラマを作り出す彼奴ら。
また燃えてもよい日が来るまで、あるいは誰かがどこかへ運んでくれるまで、じっと待っている。
捜査報告書:よく濡れる高齢者とセックス10000円也。
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