幻のソープ地帯 愛知県設楽町

昭和58年、愛知県の山奥にソープランド街を造る計画がありました。場所は北設楽郡設楽町東納庫。気になったので詳しく調べてみました。



発端は昭和58年2月。ソープランド(当時はトルコ風呂)業者が、設楽町で土地を購入しようとしていることが発覚します。3月17日の中日新聞には「設楽の山中 ふってわいたトルコふろ騒動」と題して次のようにあります。

この進出話が持ち上がったのはことし2月初め。名古屋市内の設計、建設業者二人が今月中旬まで数回にわたって設楽町役場、設楽保健所を訪れ「設楽町東納庫(なぐら)地区にトルコぶろを建設したい」と希望を伝えるとともに、同地区の地主、農業Aさん(68)との間で土地売買の交渉を始めた。関係者の話では、名古屋の設計業者らは交渉役で、実際は滋賀、岐阜のトルコぶろ経営者四人が“トルコ団地”を建設する計画という。

昭和58年当時の愛知県は、北設楽郡の設楽町・東栄町・豊根村・津具村・富山村の2町3村がソープランドの禁止除外区域となっていました。除外区域はこの枠内です。



(津具村と富山村は平成17年に設楽町、豊根村に編入されています)

設楽町東納庫は、このエリア。ぱっと見たところ田んぼと山とゴルフ場しかありません。



当時の新聞記事による周辺施設の説明、不鮮明な写真、簡易地図などの各種情報から、建設予定だった場所を絞り込むと、ココの森になるんじゃないかと思います。



今では建物がありますが、昭和52年の航空写真では一帯が山林になっています。


国土地理院の航空写真をもとに作成

予定地は4800平方メートルということなので、70m四方と仮定した場合、1辺はこのくらいの大きさになります。そこまで大きくはないですね。それでも駐車場付きで6-7店舗くらいは入る敷地面積です。

建設予定地の付近200m以内には、規制区域に出来る施設である学校や図書館もなく、私有地なので業者に土地を買われてしまうと反対派は建設阻止の対抗手段がなくなります。

中日新聞には続けてこのようにあります。

同町では進出話が表面化した当初、一時「町の発展にもいい」との歓迎論があった。だが、その後、県や議会幹部が協議した結果「青少年の健全育成に悪影響を与える」「豊かな自然環境をめざす設楽町にふさわしくない」「隣接の稲武町や豊根村には名古屋市野外教育センターや県野外活動ロッジがあるのに、ウチだけがトルコぶろではかなわん」などの意見が続出、町として反対運動を進めることを決めた。

地域住民や行政はソープ反対に舵をきったわけです。具体的には県条例改正を目指します。設楽町を禁止区域にしてしまおうというわけです。3月に新聞記事になってから3か月後くらいまでは状況を追うことが出来ました。以下にまとめます。

3月19日に町長と県議が、県と県公安委員会にトルコふろ建設の禁止区域指定の条例改正を陳情。地主に土地を売らないように呼び掛ける。

陳情を受けて県では条例を改正、設楽町を禁止区域に組み入れる方針を決定。4月18日の定例記者会見で愛知県知事が条例を改正、トルコ風呂を締め出す方針を明らかにする。

4月22日には、北設楽地方労働組合協議会が、設楽町役場を訪れ要請書を提出。「業者が設楽町に造成を計画しているトルコ風呂団地を、造らせないよう努力してほしい」

4月25日には、北設楽郡の5町村長が県当局へ、5町村もトルコ風呂の規制区域にしてほしいと陳情。

設楽町を含む北設楽郡2町3村をトルコふろ建設禁止区域に指定する風俗営業等取締法の施行条例改正案を、6月定例県議会に上程することに。


その後どうなったのか。農業Aさんは土地を売ったのか。雄琴と金津園の業者は反対派と戦ったのか。気になる点は多々あります。しかし中日新聞にも続報は無く、残念ながら私の調査能力ではわかりませんでした。結果としてソープ街は出来ていないので、事業者側が諦めたことは間違いないのですが。続報が無いということは、おそらくは大反対運動VS事業者という構図には発展しなかったのでしょう。現在では条例が改正され、愛知県は全域が特殊浴場の禁止区域となっています。


2025年8月、現地へ行ってみました。 車が無いといけない場所ですが、名古屋からおよそ1時間半(90キロ)で行けます。豊田からは1時間(60キロ)程度。



訪問しての印象としては、なんしか樹木というか山林がメインのエリアみたいです。原生林、綺麗な川、動物たち。自然が豊かなところです。 設楽町の土地構成は農地780ヘクタール、山林24,845、道路692、宅地191。9割が山林です。

バスが走っていますが、最寄りの鉄道駅からはバスでここまで40分かかります。



人口、世帯数推移。ひたすら減り続けています。この30年で人口は半減しています。
昭和55年 人口9,321、世帯数2,739
平成2年 人口8,225 世帯数2,587
令和2年 人口4,437 世帯数1,845

年齢比は、15歳未満328人、65歳以上2,263人(令和2年)
出生10に対して死亡115、転入100、転出115(令和2年) 
小中学校児童数243人(令和2年)
高齢者祭りで、年少人口と生産年齢人口が激低いです。

禁止除外区域の線引きをした人たちは、こんなところにトルコ風呂など造らないだろうと考えていたのかもしれません。仮に出来たとしても、客は地元民ではなく殆どがマイカーで名古屋や豊田などから来る客になったことは間違いありません。


鮎やアマゴなど川魚が名物みたいです。アマゴが丸ごと入った蕎麦が売られていました。



で、私が推定した建設予定地のあたりに辿り着きました。ココらへんですね。赤や水色の建物が見えるところです。





山林を切り拓いて建物が建っています。たぶんここで合っていると思うのですが。

なにぶん40年前の事ですし、計画初期段階で終わった出来事ですので、現地へ行ったところでなかなか情報を得るのは難しいものがあります。近くに住んでいる地元の人に声をかけてみたいと思ってしばらく粘りましたが、人がいませんでした…。


すぐ南側に隣接する集落はダム建設で湖底に沈むみたいです。この設楽ダムも計画当初から反対論やらいろいろあるみたいですが工事は着々と進んでいました。もう住民の立ち退きは終わっており、平成34年完成みたいです。



設楽大橋。これもダムが出来たら湖底に沈み、地図から消えてしまいます。



もし、あのときソープランドが出来ていたら。はたして客は入ったのでしょうか。 はたまた雄琴ソープ街のように周辺の地域ごと大発展したのでしょうか。ダム水没予定地で工事を見ながら、あれこれ空想してしまいました。


あまり詳しく調べられませんでしたが、また新しい情報が手に入りましたら追記したいと思います。

参考:
月刊ミューザーS58年7月号
中日新聞S58年3/17、4/19、4/23、6/6

作成:2025年8月




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