大阪のソープランド
かつて、大阪府にもソープランドが存在した。風俗へ行かない人達の間では、大阪にソープランドが沢山あったことを知っている人も少ないのではないだろうか。存在は知っていても、詳しく…となると、これが難しい。他のソープエリアに比べてネットでも紙でも極端に情報が少ないのが現状であり、特にネットでは明らかに間違った(勘違いした)情報も見受けられる。私もソープPJでいろいろ調べてだいぶ判ってきた、といったところである。
今回は、大阪に何店舗くらいあったのか・どこにあったのか・いつ、なぜ無くなったのかを中心に、現在知りえた範囲でまとめてみた。
■大阪ソープ概略
プレイヤー的にはとりたてて特色のないエリアだとされていたようである。昭和46年に雄琴ソープ街が出来た時には、大阪ソープは健全であり面白くないから、わざわざ車で雄琴まで行く人も多かったとされる(雄琴の事業者が大阪で宣伝カーを走らせたのは有名な話)。
それでも昭和50年代になってからは殆どの店で本番していたはずだが、条例の関係で、たしか個室の上部に隙間を造る必要があったと思う。隣同士で声が筒抜けになるので、そんなことしたら濃厚プレイもやりにくいわけで。当時の書籍を見ても、技術の高さや高級感を売りにしているエリアでも無かったようである。どっちかというと値段が安い傾向はあったみたいだが。
いつ誕生して、いつ滅亡したのか。大阪ソープは、大きく前期と後期に分けられる。
前期はいわゆる健全トルコ風呂で、トルコ(またはスチームバスセンター)と名前が付いているが、本番はしていなかった。大阪のトルコは殆どが健全であったと昔の書籍・雑誌には書かれている。そのまま後期時代(ソーププレイ)へと進化した箱もあるようだが、多くは昭和40年代に廃業もしくは健全サウナへと進化している。
主な前期の箱として、
トルコ温泉富士(北区)
大東洋(北区)
スチームバスセンターニューウメダ(北区)
スチームバスセンターことぶき(北区)
スチームバスセンターニューエデン(北区)
関西トルコ(淀川区)
十三トルコ(淀川区)
ニュージャパン(中央区)
ヒノキトルコ(中央区)
などが挙げられる。
見逃せないのが道頓堀にあったニュージャパン。昭和27年開業(~令和1年閉業)なので、東京温泉と同じころにすでに関西にもトルコ(スチームバス)があったわけだ。※開業時の名称はトルコセンターであったが、のちにスチームバスセンター、日本式サウナが一般化してからはサウナに改称。スチームバスセンターを名乗ったのはニュージャパンが最初で、以後、関西ではトルコのことをスチームバスセンターと呼ぶことが多かった。改称の理由は、トルコはエロを想起させるため。
後期のものは一般的に我々がイメージするソープランドで、エロプレイ(本番)付きのものである。昭和50年代に爆発的に増え、50年代後半にはキタ(兎我野町)・ミナミ(千日前・道頓堀)を中心に70~80店舗が存在した。キタ・ミナミ以外には、大阪市西成区2、天王寺区2、都島区1、淀川区2、守口市1、堺市1のソープがあった。
これらのソープは、一般的な説として、平成2年の「国際花と緑の博覧会」を機に浄化作戦で全滅したとされている。
■大阪ソープは花博で全滅したのか?
「大阪府では花博を前に大規模な繁華街の浄化作戦が行われ、ソープランドは全て無くなった」
大阪ソープ滅亡について流布しているものは、概ねこのような内容である。
結論から言うと、これは間違っている。浄化作戦の有無を調べるまでもなく、花博(国際花と緑の博覧会)が開催された平成2年以降もソープランドは大阪府下にそれなりの規模で存在していたからである。
例えば、当時の風俗情報誌や住宅地図を確認すれば、ソープランドの存在がわかる。
住宅地図では、平成4年に20軒(キタ3、ミナミ16)が存在している。
また、当時のソープ情報誌である月刊ミューザーでは、平成2年に54軒、平成4年では29軒が確認できる。
しかし、地図上で店舗が存在していても長期行政処分(営業停止)で実質的には閉店状態の可能性もある。またソープとして営業しているかはわからない。同じ箱・屋号でサービス内容はヘルスへ移行している可能性もある。営業の実態は住宅地図ではわからない。
情報誌も現在とは異なり、紙面にリアルタイムで閉店情報を反映させることは難しかっただろう。ミューザーの店舗一覧はいまいち信用性に欠けることが分かっている。大阪エリアは同じ版をずっと使っていたようで、閉店情報などは細かくは反映されていない感じだ。よって、完璧な裏付けにはならない。
そして、閉業理由がわからない。摘発で閉業したのか。あるいは儲からないから閉業したのかもしれない。
浄化作戦が事実であり、摘発や廃業指導で閉業したのであれば、大阪府警のOBなんかに聞いたら早そうだけど、私にはそんなコネはない。府警に勤めている同級生がいるのだが、そんなしょうもない事を相談するために電話するのも気が引ける。事業者側も店舗に仕事で出入りしていたのは20年前なので今更聞くことはできない。
ということで、とりあえず中央図書館でいろいろ調べてみたところ、案外うまくいき、いつ滅亡したのか、いきさつなどはだいたいわかった。
大阪ソープのピークは昭和59年の81店舗。風営法の改正が昭和59年にあるので、それを機に減るのは必然と言える。この改正の際に条例変更して許可エリア(除外区域)を無くした都道府県が沢山あるからだ。大阪も府内すべてが禁止区域になった。新規出店できなくなれば減る一方である。都道府県をまたいで商売する事業者も多いわけだし、大阪マーケットだけの話でもない。また、エイズが騒がれた時期でもあり、ファッションヘルスが台頭する時期でもあるので、そういった顧客のソープ離れ要因もあるかもしれない。
花博の2年後、平成4年1月の段階で25店舗が存在。ピークの昭和59年からの8年間で56店舗が廃業している計算だ。これが同年8月21日に営業店舗が0になる。まだ25あったのが、半年ほどで0になったのはどういうわけか。これは大阪府警による徹底した摘発が原因である。
大阪府警は「クリーンミナミ総合対策」を6/1より実施。3月に暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が施行されたのがきっかけで、ミナミの繁華街から暴力団排除を目指した対策である(ミナミ=ソープが集まる道頓堀・千日前のエリアを指す)。そのあおりでミナミのソープ6店舗が摘発(売防法違反)。用心棒代を払っていたというのが本当の理由である。10店舗は休業・廃業となり7店舗がヘルスに業態転換。
悪いのは暴力団なのに、なんで売防法違反やねんて感じだが、令和時代の「スカウトのせいでソープランドも片っ端から摘発」みたいな話ではある。
6月時点でミナミ17店舗、キタは1店舗が残っていたが、この「クリーンミナミ対策」でミナミが全滅。
(行政処分が明けて営業再開すれば全滅ではないが、ほぼ潰すことが目的といえるので再開は難しい)。キタは対策の範囲外であったが、こちらも警察の圧力が激しくて休業状態。
以上は複数の新聞記事(店舗数などは府警発表)からまとめたもの。
ミューザーの大阪エリアの店舗一覧は、89号(平成3年)から一気に減っている。一覧表やMAPが大阪の部分だけスカスカになっているのだ。閉店速度が速すぎてMAPや表を描き直すのが追い付かなかったのだろう。とりあえず「消した」だけになっているのだ。「もう営業していない」という情報を得たので一気に消したのだろう。また、96号では大阪の店舗ページ自体が無くなっている。95から96号のあいだの期間はミナミクリーン総合対策で、営業しているソープが実質的に0店舗になった時期と合致している。編集部でその閉店情報を知って大阪部分は消したのではないか。
これが大阪ソープ滅亡の事実である。
大阪のソープが消えたのは平成4年であり、平成2年の花博で0になったのではなかった。
※厳密には都島区の1軒のみ平成18年くらいまで営業。もっと厳密にいうと淀川区の関西サウナは令和3年まで営業。これが本当の最後の1軒。いや、浪速区のマッサージ末広をソープ(トルコ風呂)認定するのであればまだ残っていると言えないこともない…か?
※一部ソープは廃業ではなく業態転換してヘルスやピンサロになった。そのため現在でも届け出上は大阪にも個室付浴場が存在することになっている。ミナミ・キタにある店舗型ヘルスがそれである。
昭和59年から平成4年1月までの8年間で56店舗が無くなった理由は現時点では不明である。営業不振だけでは説明できないくらいのペースで閉業している。これについては引き続き調べていきたい。
■大阪ソープ全盛期MAP(キタ・ミナミ)
ピークである昭和59年の店舗についてMAPにした。クリックで表示。
ミナミ(心斎橋)MAP
ミナミ(千日前)MAP
キタ MAP
作成:令和8年3月
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